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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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母と桜と煙草

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車を運転していると、目と耳は外にあるのに、心が前に進む。私の頭は、母の事を考えている。目の端に、緑色の街路樹がぼやっと見えている。

フロントガラスに、母がこちらに背を向けた姿が見えた。

小柄な母が、閉じられたベランダの扉に向かって座り込んでいる。母は、向こう側へ煙を吐く。それは、日に六度程しか無かった。

今の私は、車のハンドルを脇道へ逸らし、郊外の山間へ向かう道へと曲がった。

心の中で、母が戻る。母はベランダの扉を開けて私を見つけると、素早く静かにガラス扉を閉めた。

「あんまりここの近くに来ないでよ。煙を吸っちゃうと良くないのよ」

そう言われた時、私は十歳だった。いつも窓を覗き込み、母の顔が見えないか、こっちを向かないかと待っていた。

四十の私は、右側に林を見て、左の住宅地の角を警戒している。今日は、母に会う時間が出来た。

自分は苦労をしたと、いつも母から聴かされて育っていた。そんな私も、今年で四十になる。

〝借金なんかするもんじゃないよ。やったもんだと思いな〟

母はいつもそう言っていた。

昨年、母は亡くなった。長い病だったので、自分も少しとは言えない程苦労をした。でも、妙なのだ。その苦労が、もうあまり思い出せない。

思い出せるのは。

介護をし始めてから少しして、母が私の料理を初めて褒め、驚きに頬を染めていた時。

〝これ、美味しい。なんか入れた?〟

夜中に母が救急搬送されて、あっという間に手術入院となった日。

〝会社は明日行かなくていいの?うちに帰らないと。もうこんな夜中なのに〟

幼い頃、父が居ない家で私を抱き、私の背中を撫でていた母。

〝ごめんねえ誠。ごめんねえ。ごめんねえ…〟

最期に会った時も。

〝ごめんね、誠〟

私の幼い頃と晩年の母は、いつも私に謝っていた。私はその時、なんと言っただろう。

〝いいって〟

それは、母を退ける言葉かもしれなかった。私は母を避けていたのかもしれない。同じ家に住んでいたのに。

母は、自分は迷惑を掛けていたと思っていただろう。でも、私だってこう言いはしなかったのだ。

〝孝行なんだから、気にしないでよ〟

ただの一度も言わなかった。母は死にゆくと知っていたのに。

終わったから後悔出来るのだ、過ぎた言葉なのだ、今更言っても仕方ない、それらのどれも、私を慰めてはくれない。ただ、母に会いたい。

駐車場に着いて、うるさくないようドアを閉めた。後ろのシートから花を取り上げ、母へと歩く。もう会えないが、仲立ちになってくれる場所へと。桜並木は花畑を天に押し上げ、天から花弁を降らせる。

墓に囲まれ奥へ進む程に、段々と気持ちは収まり、辛くなくなった。
周りの墓達が、母親の墓参りにやっと来た馬鹿息子を微笑ましく迎えている気がする。年末年始は中々時間が取れず、二月末になってここに来られた。
〝やあやあ息子さん。お母さんはお待ちかねですよ。早く行くといい〟
そんな声があちこちから聴こえる気がする。自分は少し信心深過ぎるだろうか。
この前を過ぎればあと二つで、母に花を手向けられる。

母の墓は、じっと黙っていた。雨の痕に柄杓で水を掛けてから、布で拭った。それから跪いて、母に花を渡す。手を合わせようとした時に気付いた。

私は今、この石に向かって何を言えと言うのだろう。だって、母が本当に私の言葉を咎めたわけではない。

しかし、無礼は出来ないので両手を合わせて目を閉じる。

母さん。遅くなってごめん。母さん、あのさ…元気にしてるかな。

天国の母にこの世の苦しみをまた渡すのなんて、出来なかった。

頬をはらはらと涙が落ちていく。そんな物で母の墓を汚すのは嫌だ。スーツの袖口で拭っても、流れ続けた。

泣きながら私は、ポケットから煙草の箱を探した。まだ私の箱には充分な本数がある。

母は、細い洒落た物が好きだった。大人になってから私は、似たような男物を探して吸った。そんな姿を母は責めなかったけど、私の身体を心配してくれていた。

「母さん、メンソールだよね」

そう声を掛けてから、墓前に煙草の箱とライターを供えた。また手を合わせてしばらくしたら、煙草とライターはポケットへ仕舞う。墓地には置いていけない。

「今度は母さんの持ってくるから、それで我慢して。本当に…」

虚しく自分の言葉が続くのに合わせ、桜の花が母の墓へ乗る。母が桜を見たかなと思ってから、花弁を掬って、手に持ったままの箱へ入れた。



作品名:母と桜と煙草 作家名:桐生甘太郎