令和巌流島 〜勝たぬが勝ちの巻〜
むかしむかしと申しても、
ついこのあいだのSNS時代のことでござる。
天下は情報で動き、人は光に群がり、
誰もが“見られる”ことを生きがいとする世の中。
そこに現れたは二人の男、
ひとりは「令和の小次郎」、もうひとりは「令和の武蔵」。
きらびやかな剣の男
小次郎どの、実にスマート。
服は黒、言葉はシャープ、動きはスタイリッシュ。
スマホ一つで天下を取ると豪語し、
「勝たねば存在せず」と申すお人。
人々は喝采、拍手、そして「いいね!」を連打。
彼の笑顔が夕刊に、彼の言葉がニュースに。
まことに現代の剣豪とは、
刀より早く指を動かす者を申すのだろう。
木の香のする剣の男
さて武蔵どの、こちらは山奥の工房住まい。
刀の代わりにノコギリ、甲冑の代わりにエプロン。
朝は鳥の声に起き、夜は星に見守られて寝る。
「勝ち負けに意味はない」と申すが、
その目の奥には、燃えるものがある。
“負けぬために勝つ”のではなく、
“折れぬために立つ”。
なんとも面倒な時代遅れで、愛すべき男である。
巌流島はどこにある?
二人が出会ったのは、講演会。
武蔵どのが質問いたす。
「勝ちよりも大事なものがあると思いませんか」
小次郎どの、即答す。
「負けた人ほど、そう言うんですよ」
その場、ざわめく。
見えぬ刀が交わるような、静かな火花。
だが巌流島は海の上ではなく、
人の心の中にあった。
木くずとスマホのあいだ
小次郎どの、フォロワー百万人の波を乗りこなすも、
夜ふと、胸が空しくなる。
「勝ってるのに、なぜ孤独なのか」
そのころ武蔵どのは、割れた木を削っていた。
「負けた木にも、使い道がある」
と、ぼそり。
勝者は孤独を見つめ、
敗者は木片を磨く。
これぞ、令和版の“戦と悟り”でござる。
勝たぬが勝ちの結末
のちに二人は再び相まみえる。
ネット配信の「令和巌流島対決」。
視聴者十万、コメント千。
小次郎どの、熱弁ふるう。
「人は勝たねば誰も見てくれない!」
武蔵どの、木片を掲げて一言。
「負けても、美しいものがある。」
その瞬間、
コメント欄の嵐が止み、
“いいね”の数が風のように静まった。
そして――
誰もが自分の中の“巌流島”を思い出した。
結びの段
勝つも負けるも、紙一重。
だが心を失えば、勝っても空(くう)。
心を取り戻せば、負けても道(どう)。
令和の世に生きるわれらもまた、
スマホを刀に、言葉を盾に、
毎日どこかで戦っている。
しかし――
“勝たぬが勝ち”の武蔵のごとく、
静かに己を磨く者こそ、
真の強者であろう。
「巌流島は、どこにでもある。
人の心の中に、静かに浮かんでいる。」
作品名:令和巌流島 〜勝たぬが勝ちの巻〜 作家名:タカーシャン