金曜夜22時、「不満電車」をゆく
金曜日の夜22時。都市を走る終電に近い電車は、ただの鉄の箱ではありません。それは、一週間の労働と我慢の末に、ようやくたどり着いた人々の「本音」が詰まった密室です。
ドアが開き、車内を埋め尽くすのは、スーツ姿で顔を赤らめた人々。その多くは、職場の飲み会帰りでしょう。彼らの声は大きく、疲れとアルコールのせいで、周囲への遠慮という「手綱」が外れています。
耳に入ってくる会話の内容は、驚くほど共通しています。
「あいつがまた勝手に…」
「上司に話したら、逆に一喝されたよ」
「どれだけ我慢してると思ってるんだ」
日本社会の「安全弁」
この電車は、まさに「不満電車」。
人々は、和を重んじ、波風を立てることを嫌う「我慢社会」の中で生きています。職場では、たとえ不当だと感じても、組織の秩序や上司の権威の前では、個人的な不満は奥歯にグッと押し込めて耐え忍ぶ。その責任感と諦めが、一週間、心の中に重く溜まっていきます。
そして、金曜日の夜、アルコールがその蓋をこじ開けるのです。
彼らが電車内で大声で愚痴を吐き出す行為は、社会的な「ガス抜き」であり、一種の「移動するセラピー」なのかもしれません。聞いている側にとっては迷惑な騒音かもしれませんが、話している当人たちは、不満を共有することで「自分だけじゃない」という共感と、一時的な解放感を得ています。
不満の向こう側
この「不満電車」は、日本人が抱えるストレスの深さを映し出す鏡です。
私たちが本当に聞いているのは、職場の愚痴そのものではなく、「疲弊しきった心」の叫びです。我慢に我慢を重ね、ようやく公の場でその毒を吐き出すことができるという、いびつな心の構造。
土日が過ぎれば、また人々はスーツに身を包み、職場という戦場に戻っていくでしょう。しかし、この金曜夜の電車が示すように、人には必ず「解放の場所」が必要です。
私たちが本当に願うのは、誰かの迷惑になる電車内ではなく、もっと建設的で、健やかな方法でストレスを解消できる社会ではないでしょうか。金曜の夜、揺れる車窓に映るのは、不満を抱えながらも、それでも前を向こうとする、現代を生きる私たちの姿なのかもしれません。
作品名:金曜夜22時、「不満電車」をゆく 作家名:タカーシャン