世界の中流という幻
私たちは「中流」という言葉に、ある種の安心を重ねてきました。
衣食住に不自由せず、そこそこの教育を受け、車や家を持ち、年に一度は旅行に行ける。これが「普通の暮らし」だと、多くの日本人は考えているかもしれません。
しかし視野を世界に広げてみると、その「普通」は実はごく限られた国の、さらに限られた人々だけが享受している暮らしだと気づかされます。
世界銀行の基準から見える現実
世界銀行は一日の所得を基準に、生活水準を区分しています。
• 1日2ドル未満 ― 極度の貧困
• 2〜10ドル ― 低所得層
• 10〜50ドル ― 中流層
• 50ドル以上 ― 高所得層
こうしてみると、「世界の中流」とは1日10〜50ドル(日本円でおよそ1,500〜7,500円)をやりくりする人々を指します。実際、世界人口の半数ほどがこの層に含まれます。
彼らの生活の姿
この「世界の中流」の生活をのぞいてみましょう。
食卓には米やパン、豆が中心に並びます。肉や魚は特別な日や週に数度。
都市に住む人々は小さなアパートを借り、地方では家族で質素な家を守ります。電気や水は基本的に使えるけれど、停電や断水は珍しくありません。
子どもは義務教育に通えますが、大学進学には高いハードルが立ちはだかります。病気になれば町医者にはかかれますが、高度な医療は手が届きません。
それでも、多くの家庭にはテレビがあり、スマートフォンも持っています。画面の中で流れる華やかな世界と、自分の暮らしの距離。そのギャップを日々感じながらも、明日を生き抜くための知恵と工夫が積み重なっています。
日本の「普通」とのズレ
私たちが思う「中流」は、マイホーム、車、冷蔵庫や洗濯機、エアコンが揃った家、安定した職場、教育への投資、年に数度の外食や旅行…。
けれど、これらが揃っている時点で、すでに世界人口の上位15〜20%の豊かさを生きているのです。
つまり「自分は普通」と思っていても、世界全体から見れば、実はかなり裕福な立場に立っていることになります。
本当の「世界の中流」とは
世界の中流とは、こう言えるでしょう。
• 生存の危機は少ないが、豊かさには限りがある暮らし
• インフラや教育は最低限整っているが、未来の選択肢は狭い
• スマホで広がる世界を知りながら、そのすべてに手が届くわけではない日常
それは「不足」と「希望」のあいだに揺れる生活です。
視点を変えると見えてくるもの
私たちが「普通」だと思っている生活は、世界の大多数から見れば夢のようなもの。
一方で、世界の中流にいる人々の暮らしは、堅実で、逞しく、慎ましやかです。
そこには「足るを知る」強さと、未来をあきらめないしなやかさが宿っています。
本当の意味で「世界の標準」を理解することは、私たち自身の豊かさを見つめ直すきっかけになるのではないでしょうか。