すり抜ける文字たち
締切の針が迫ると、目の前の書類が一枚の風景に変わる。
数字も文字も確かにあるのに、輪郭がぼやけ、脳が「もう確認済み」と勝手に合格印を押してしまう。
急ぐほどに世界は平面的になり、肝心な一文字が、まるで逃げ足の速い小鳥のように視界をすり抜けていく。
私たちの脳は賢くて怠け者だ。
時間が足りないと察した瞬間、「だいたい合っている」モードに切り替え、細部を切り捨てる。
見ているつもりでも、見ていない。
これは意志の弱さではなく、生き延びるための古いプログラムなのだ。
だからこそ、あえて立ち止まる。
時計を横目に、深呼吸を三度。
ほんの数十秒で、視界が再び三次元を取り戻す。
拡大した画面の文字が、まるで初めて出会う顔のように鮮やかに浮かび上がる。
耳で文章を聞けば、目の見落としを音が拾ってくれる。
急ぎのなかに小さな間を置く――
それは敗北ではなく、速度へのささやかな反逆だ。
わずかな停止が、一時間の修正を救う。
そして仕上がった書類を前に、私は知る。
速さよりも確かさを守るのは、
走り続けることではなく、
一瞬の静止なのだと。