涙は海へ還る
人は生まれたとき、海と同じ塩分をもつ羊水に包まれていた。だからだろうか、涙が頬をつたうと、どこか遠い海鳴りのような懐かしさを感じる。
医学は涙を三つに分ける。角膜を守るために絶えず分泌される基礎の涙、タマネギや風から目を洗う反射の涙、そして感情が震えてこぼれる情動の涙。なかでも心に触れるのは、やはり情動の涙だ。喜び、悲しみ、悔しさ、安堵――その瞬間、体は言葉より早く反応し、目の奥から小さな海を押し出す。
成分を調べれば、塩分はおよそ0.9%。体液とほぼ同じだが、情動の涙にはストレスホルモンが多く含まれるという。泣き終わった後に胸が軽くなるのは、単なる気のせいではない。副交感神経が優位になり、心拍も呼吸も静まり、体は自らを調律していく。涙は心を守るための、無意識の処方箋なのだ。
思えば、涙は小さな川。ひとすじの流れが頬を伝い、やがて心の海へと注ぎ、記憶の母胎に還っていく。感動の涙も、苦悩の涙も、流れることで混じり合い、不純物を洗い流し、わたしたちを再び生きる者へと整えてくれる。
弱さではない。涙は生命の源を思い出させるささやかな海のしずく。泣ける自分を許すことは、いのちを抱きしめることにほかならない。