心の土俵に立つ
――観客もまた力士である――
大相撲を見ているつもりが、気づけば自分の胸の奥でも勝負が始まっている。
推し力士が押し込まれると、心もずるずる後退。
逆転の下手投げが決まれば、拳を握って一緒に投げる。
取組は一対一でも、実際は観客全員が「心相撲」を取っているのだ。
観客席は静かに見えて、そこももうひとつの土俵。
立合い前の息を止めた真顔、押し合いの最中に寄る眉間、
決まり手の瞬間に開く口、勝ち名乗りにほどける笑顔。
表情そのものが技であり、勝敗である。
これぞ「表情相撲」。
日常もまた同じ。
朝イチで届いたクレームメールを押し出し、
溜まった書類の山を寄り切り、
くよくよする後悔を上手投げで一蹴する。
心に湧く不安や苛立ちを、今日も土俵で取り組む。
勝ち名乗りを上げるのは、自分自身だ。
本場所が終わり、夕暮れの国技館をあとにするころには、
心の千秋楽も終わっている。
モヤモヤは投げ飛ばされ、足取りは軽い。
相撲は体の格闘技であると同時に、
観る者の心を整える総合格闘技。
今日も土俵の力士たちに拍手を送りながら、
私もまた心の四股を踏む。
「はっけよい、残った」
その一声が、日常をすっきりと仕切り直してくれる。