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タカーシャン
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novelistID. 70952
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存在を芸術として見る視点

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存在を芸術として見る視点

私たちはふだん、「芸術」と聞けば、美術館の絵画や舞台上の演劇、あるいは音楽ホールの交響曲を思い浮かべます。
それらは特別な場に展示され、観賞するために準備されたものです。

けれども、よく目をこらしてみると、芸術はすでに街の中に、生活の中に、私たち一人ひとりの身振りの中に存在していることに気づきます。



しぐさの舞台性

人々が一斉に交差点を渡る。
電車の揺れに合わせて同じ方向へ身体が傾く。
傘が開く音が重なり、街に花のような模様が広がる。

これらはすべて、誰も意図せずに作り上げられた「群舞」であり「即興劇」です。
個々の行動が積み重なり、自然に舞台のような美しさを生み出します。



存在そのものが作品

芸術は「特別な才能を持つ人だけの表現」ではありません。
人間の存在そのものが、芸術的な現象です。
• 仕草は即興の舞踏。
• 言葉は日常の詩。
• 呼吸はリズム。
• 佇む姿は彫像のように。

私たちは気づかぬまま、つねに表現を行っているのです。



一度きりの芸術

重要なのは、これらの動きや瞬間が二度と繰り返されないということです。
その一瞬にしか現れない「不可逆性」こそ、芸術の本質です。

街角で振り返る視線、ふとした笑み、偶然に重なる足音。
それらはどんなに記録しようとしても、その瞬間のまま再現することはできません。
一度きりの消えゆく表現だからこそ、尊いのです。



哲学としての「存在=芸術」

この視点に立つと、世界そのものが変わって見えます。
人の動きは煩雑な雑踏ではなく、無数の芸術作品の連なりに見えてきます。
そして、自分自身も「ただ生きている存在」ではなく、生きることで作品を描き続ける芸術家であることに気づきます。

芸術は、特別な場に隔離されたものではなく、生のただ中にあふれている。
それを感じ取る感性を持つことが、日常を新しい光で照らすのです。



結びに

「存在=芸術」という思想は、人間の尊厳とも深くつながります。
誰もが、どんな人であっても、生きているだけで「一度きりの芸術」を生み出している。
その認識は、人を比較から解放し、すべての瞬間に価値を見いだす眼差しを育てます。

だから私は、こう言いたいのです。

あなたの歩み、あなたの声、あなたの沈黙。
そのすべてはすでに芸術である。