本当のやさしさ
人生は、駆け足のまま過ぎ去ってゆく。
立ち止まろうと願っても、時は容赦なく背中を押し、過去へ戻る道は閉ざされている。
それでも心は、幾度となく振り返る。――あのシーン。
夕暮れの海。
群青と朱が溶け合う空の下、出会ったはずの誰か。
名前も、声も、確かではないのに、その光景だけが映画のフィルムのように蘇る。
思い出すたび、胸の奥が痛む。
言えなかった言葉。
遠くからただ見つめるしかなかった自分。
涙で霞む視界を、一人歩いたあの日の足取りは、鉛のように重かった。
なぜ声にできなかったのか。
なぜ踏み出せなかったのか。
その問いは今も心の底に沈み、やがて夢の中で形を変え、再び現れる。
だが、未完の瞬間は、失敗ではなく宝物であったと気づく。
叱られたことも、傷つけられたことも、実はやさしさの裏返しだったのだ。
本当のやさしさは、甘い慰めではない。
ときに厳しく、ときに痛みを伴いながら、人を奮い立たせる力となる。
「また必ず立ち直れる。大丈夫。君ならできる」
そう信じてくれた眼差し。
その微笑みは、過去を悔やませるためではなく、未来を照らすためにあった。
私はようやくその意味を理解し、遅ればせながら感謝の言葉を捧げる。
本当のやさしさは、沈黙の中に宿る。
声にならなくても届き、時を超えて心を揺らす。
だから私は、あの人に、そしてこれから出会う誰かに、届けたいのだ。
ありがとうを、もっと。
やさしさを、もっと。
永遠に蘇る宝物として、そっと託すように。