老いのエコモード
老いは静かにやってくる、なんて大ウソだ。
あいつは爆音でブレーキなしのトラックみたいに突っ込んでくる。気づけば顔にシミのドット絵が浮かび、皮膚は重力に降参。紫外線と老化ホルモンの共同作業によって、「昭和の干し柿アート」が完成しつつある。
鏡を見るたび、あの顔は誰だとギョッとする。
詐欺写真じゃあるまいし、これが現実。アプリで加工したくても、現実はスワイプできない。
若い頃は「地球」だった。青々として潤いに満ち、多少の無茶にも耐えられた。
今は「火星」である。砂だらけで、ちょっと動けば砂嵐。NASAに探査機でも送ってもらわないと、生命の痕跡すら発見できない。
老いとは「水分を保持できなくなること」だと言う。なるほど、私の体も年々カラッカラだ。もうすぐ干物になってスーパーで叩き売られてもおかしくない。しかも値引きシール付き。
たるんだ皮膚を見て、「これも年輪」と思えたら立派だが、実際は「ビニール袋に入れ忘れたまま放置したパン生地」のように膨張している。若さはオアシス? 老いは砂漠? 違う、老いは放置された湿気たスポンジだ。
それでも、強がりで言ってみる。私はエコモードだと。
昔はフルスロットルで突っ走ったが、今は低燃費。いや、ただのガス欠だろう。ハイブリッド? いや、正直もう単なるリモコンの「残り3メモリの電池」だ。
でもまあ、老いにも良いところはある。
視力が落ちればシワもシミも見えにくくなる。耳が遠くなれば悪口も聞こえない。物忘れがひどくなれば、恥ずかしい黒歴史も自然にリセットされる。もはや「便利機能搭載の劣化版」だ。
結論。
老いは砂漠化でも火星化でもない。
ただの「Windows95並みの処理速度で生きるアップデート不能の私」なのだ。