そのままにしておけない
コップを持つ。
まだ湯気が立っている。
あるいは、冷気がうっすらと結露している。
「今だ」
心の奥で、何かがつぶやく。
新鮮なうちに。
冷たいうちに。
温かいうちに。
感じるうちに。
飲み干してしまわなければ──と。
この衝動には、どこか覚えがある。
中途半端に終わったあの日の会話。
返されなかった手紙。
曖昧なまま、二度と会えなくなった人。
形にならなかった夢。
「ちゃんと終わらせられなかったこと」たちが、心の奥で今も居場所を探している。
だから僕は、飲み物すらも「そのまま」にしておけないのかもしれない。
今、確かにここにあるものを、ちゃんと飲み切っておきたい。
曖昧にしたくない。
取りこぼしたくない。
自分のものとして、完結させておきたい。
それは執着というより、祈りに近い。
もう二度と曖昧に終わらせたくない、という小さな決意のような。
でも──本当に大切なものって、もしかしたら「残る」ことにも意味があるのかもしれない。
最後まで飲み干せなかった言葉、
飲み残された沈黙、
湯気の向こうに消えていったぬくもり。
それらが心の奥で、静かに、確かに、僕をつくってきた。
今日も、飲み物はすぐに空になった。
けれど、ふと立ちのぼる香りだけが、まだそこにある。
「そのままにしておく」ことを、少しずつ、許せるようになりたい。
作品名:そのままにしておけない 作家名:タカーシャ