たべられる いのち ― 命のまわりを歩く詩
はじめに(まえがき)
この世界のすべての命は、
だれかを食べ、だれかに食べられ、
その中で生き、そして消えていきます。
「たべる」と「たべられる」の間にあるもの。
それは、こわさかもしれないし、感謝かもしれない。
あるいは、なにかもっと大きな「めぐり」かもしれません。
この詩集は、
ひとつの命をめぐる問いを
三つの視点から見つめた小さな旅です。
目次
1. 哲学の詩 『いのちは、いのちを喰らう』
2. 子どもの詩 『たべた?たべられた?』
3. 老年の詩 『最後に、命がわかるような
気がした』
1. 哲学の詩
『いのちは、いのちを喰らう』
食べるとは 奪うことか
食べられるとは 終わることか
いいや
それはただ
交代しているだけかもしれない
一つの命が 他の命の中に
溶けてゆく
まるで 火が煙に 変わるように
恐怖は 本能か
それとも 意識の錯覚か
肉体は逃げる
心が「怖い」と名づける前に
草も 虫も 魚も 人も
いのちの渦の 一瞬のかけら
食べることも
食べられることも
その中心に 等しくあるだけ
生きるとは
自分という名の 時間を
だれかに 手渡していくことかもしれない
2. 子どもの詩
『たべた?たべられた?』
きょう、ぼくは ごはんを たべた
おにくも さかなも やさいも!
「ごちそうさま!」っていったけど
それって ほんとうに ありがとうかな?
おにくは もともと うごいてた
やさいも しずかに そだってた
いのちを たべたんだね
ぼくの おなかの なかで
たべるって つよいこと?
たべられるって かわいそう?
うーん… どっちも いっしょかも!
いのちは つながってるから!
いつか ぼくも なにかに
たべられるかも しれないけど
そのときも 「ありがとう」って
いわれたら ちょっと うれしいかも!
3. 老年の詩
『最後に、命がわかるような気がした』
若いころは
食べるのが力だと 思っていた
奪うことが 生きることだと
信じていた
でも歳を重ねると
噛むことも 減り
欲も しずかに しぼんで
不思議と 思うようになった
わたしの命も
いつか 土に還る
虫に食われ 根に吸われ
やがて 花を咲かす
そうか
命は 渡すものだったのか
食うでもなく 食われるでもなく
ただ 巡っていくものだったのか
最後にようやく
いのちの仕組みが
ほんのすこしだけ
わかった気がするよ
おわりに(あとがき)
命は、まっすぐではなく
くるくると めぐるもの。
食べることも
食べられることも
いのちのつながりの中で
ただ交代していく役目にすぎない。
わたしたちは
このつながりを
「こわい」と言い、
「ありがたい」と言いながら
いまここを生きている。
あなたがこの詩を
読んでくれたことも
ひとつの命のわっかのなかに
きっとあるのだと思います。
作品名:たべられる いのち ― 命のまわりを歩く詩 作家名:タカーシャ