森のベンチと働き方の話
春の風がやわらかく吹く昼下がり。
総務部の若手社員・遥(はるか)は、社内の中庭にある古い木のベンチに腰を下ろした。
目の前には、ひとりの年配社員——定年を目前にした山下さんが、ゆっくりと缶コーヒーを飲んでいた。
「やれやれ、今日もまたやることが山盛りで…」
遥のぼやきに、山下さんは目を細めて笑った。
「若いってのはいいな。だけど、全部やろうとするなよ。」
遥は、目を見開いた。「え?全部やらなきゃ、まわらないですよ。」
「……それは、“まわらないような働き方”になってるだけだ。」
山下さんは言った。
「昔、俺も同じだった。誰よりも早く出社して、誰よりも残ってた。
でもな、ある日倒れて、3週間入院したんだよ。そしたら、何も困らなかった。
俺がいなくても、会社は回ってた。」
遥は驚いた。「…でも、責任があるし、自分がやらなきゃって思ってて。」
「責任ってのはな、“抱える”ことじゃない。“引き受けた上で、正しく手放す”ことだ。」
「正しく手放す…?」
山下さんは、ベンチの木の節を指でなぞりながら言った。
「たとえば、木は全部の枝に同じだけの栄養を送ったら倒れちまう。
本当に伸ばすべき枝にだけ、力を注ぐんだ。
お前も、自分の“今”に合う枝を選べばいい。」
遥は、ノートを開いた。
「じゃあ、何を基準に選べばいいですか?」
山下さんは、指を三本立てた。
「一つ目。“これは、今日じゃなきゃいけないか?”
二つ目。“これは、自分じゃなきゃできないか?”
三つ目。“これをやったら、何が動くか?”」
「……なるほど。」
「それを毎朝、5分だけ考えてみろ。そうすりゃ、“がんばる”より“選ぶ”のが上手くなる。」
缶コーヒーを飲み干した山下さんは、ゆっくりと立ち上がった。
「働き方はな、“がんばり方”じゃなく、“削り方”で決まるんだよ。
どれだけ自分を守りながら、やるべきことに集中できるか。それが“プロ”ってもんさ。」
遥は、ベンチに座ったまま、風を受けた。
なんだか少し、心が軽くなった気がした。
その日の帰り道。
遥はふと、メールボックスを開いたが、開いていないメールを20通、そっと閉じた。
「今じゃなくていい。私は、選んで働いていいんだ。」
それは、ただの“手抜き”ではない。
自分の力を守る、立派な「働き方の技術」だと、森のベンチが教えてくれた。
おわりに
無理をしないことは、甘えではなく、
続けるための大人の知恵。
あなたの「削る勇気」が、未来の仕事を整えていく。
作品名:森のベンチと働き方の話 作家名:タカーシャ