あいつの悪口
町の小さなベンチで、よく腰かけているおじいちゃんがいる。
名前は佐吉(さきち)さん。80歳。背中は少し曲がったけれど、口は達者。
この日もいつものように、通りかかった近所の若者に話しかける。
「やれやれ、またあいつが来てたよ。あの源(げん)ってやつはほんと、口が軽くてな。昔っからそうだ。すぐ調子に乗るんだよ。まったく、どうしようもない」
若者は苦笑いしながら聞いていた。
でも、何か引っかかって、つい聞いた。
「……でも、昨日もその源さんと将棋してましたよね?」
「うむ。負けたがな。悔しくて夜も眠れんかったわ」
「それって仲いいってことじゃないんですか?」
佐吉さんは、ふっと視線を落とした。
少し照れくさそうに言った。
「まぁな……あいつとは60年の付き合いや。
あいつが黙っとると、なんか心配での。
バカなことでも言ってくれると、安心するんじゃ。
悪口っちゅうのは、わしの健康バロメーターみたいなもんじゃ」
若者は笑った。
佐吉さんも笑った。
その笑い声を、遠くの路地の向こうで、源さんが聞いていた。
「あいつ、またわしの悪口言うとるな」
そう言って、にやりと笑った。