起きてからじゃ遅い ―国の予防力を問う―
災害が起きてから、防災の必要性を語っても遅い。
誰かが命を絶ってから、心のケアを語っても遅い。
孤独死が報道されてから、見守りの大切さを話しても、手遅れなのだ。
それなのに、わたしたちの国の「予防」に対する姿勢は、どこか後ろ向きである。
医療でも、福祉でも、教育でも、「問題が起きてから動く」――そんな風潮が根強い。
たとえば、メンタルヘルス。
心の病は、見えにくく、語りにくい。だからこそ、早期発見・早期対応が何より重要なはずだ。
ところが学校や職場では、「頑張れ」「甘えるな」といった旧来の精神論が、今も根強く残っている。
予防の段階で寄り添う支援体制は、まだまだ整っていない。
また、災害対策も同様だ。
地震・豪雨・猛暑など、天災はますます増えているのに、実際の避難行動や地域連携は、想定通りにいかない現実がある。
高齢者や障がい者、外国人など、災害弱者への備えは十分とは言いがたい。
さらに、孤独・孤立の問題。
高齢者だけでなく、若者も、子育て世代も、つながりの中で孤立している。
誰にも気づかれずに、ひとりで苦しむ人が増えているという現実に、わたしたちは十分に目を向けているだろうか。
予防とは、目立たない仕事だ。成果が見えにくい。予算もつきにくい。
だが、予防とは、未来を守る技術である。
転ばぬ先の杖を、国としてどれだけ本気で用意できるか。
健康のことも、交通のことも、ネットのことも、
すべて「何かあってからでは遅い」という認識を社会全体で共有しなければならない。
「心の健康」「命の安全」「人と人のつながり」――
これらを支える予防力は、国家の品格であり、未来への投資である。
だからこそ、わたしは言いたい。
“今こそ、予防に本気の国づくりを。”
問題が起きたあとではなく、
問題が起きない社会へと――
私たちはその力を、きっと持っている。
作品名:起きてからじゃ遅い ―国の予防力を問う― 作家名:タカーシャ