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タカーシャ
タカーシャ
novelistID. 70952
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人から受ける刺激について

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『人から受ける刺激について』

人と関わるというのは、
心に何かが「触れる」ということだ。
その「何か」は、風のように優しくもあり、
嵐のように激しいこともある。

誰かと会話したとき、
言葉では説明できない感情が生まれる。
嬉しい、恥ずかしい、悔しい、癒される、怖い――
これらの感情は、すべて「刺激」だ。
その刺激によって、私たちは自分という存在を思い出す。

時に、それは自分にないものへの憧れかもしれない。
自由な人を見ると、自分の不自由さを痛感する。
人懐っこい人を見て、自分の壁に気づく。
つまり刺激とは、「自分にない輝き」によって心が揺れることでもある。

けれど、逆もある。
実は自分の中にも眠っていた一面を、
他人の姿を通して見せられることがあるのだ。
そういう時、人はなぜか深く惹かれると同時に、
理由のわからない疲れを感じることもある。

不思議なことに、
「好きな人」や「憧れる相手」から受ける刺激が、
時に心を擦り減らす。
それは、相手が悪いわけではない。
好きだからこそ、無意識にがんばってしまう。
気をつかいすぎて、自分を忘れてしまう。
相手を意識しすぎて、呼吸のリズムが乱れる。

人は人によって磨かれる。
だが同時に、摩耗もする。
それは、相手が悪いからでも、自分が弱いからでもない。
ただ、その距離と熱量が、今の自分にとって強すぎただけだ。

刺激とは、
自分の中の「まだ触れていない部分」を揺らすもの。
それが快いか、痛いか、疲れるかは、
そのときの心の状態次第だ。

だからこそ、こう思う。

他人の刺激を受けるときは、
自分を忘れすぎないように。
感動し、憧れ、共鳴しても、
「自分のペース」に立ち返れる余白を持とう。

そして、疲れたら、離れてもいい。
好きであることと、疲れないことは、両立していいのだ。