人から受ける刺激について
人と関わるというのは、
心に何かが「触れる」ということだ。
その「何か」は、風のように優しくもあり、
嵐のように激しいこともある。
誰かと会話したとき、
言葉では説明できない感情が生まれる。
嬉しい、恥ずかしい、悔しい、癒される、怖い――
これらの感情は、すべて「刺激」だ。
その刺激によって、私たちは自分という存在を思い出す。
時に、それは自分にないものへの憧れかもしれない。
自由な人を見ると、自分の不自由さを痛感する。
人懐っこい人を見て、自分の壁に気づく。
つまり刺激とは、「自分にない輝き」によって心が揺れることでもある。
けれど、逆もある。
実は自分の中にも眠っていた一面を、
他人の姿を通して見せられることがあるのだ。
そういう時、人はなぜか深く惹かれると同時に、
理由のわからない疲れを感じることもある。
不思議なことに、
「好きな人」や「憧れる相手」から受ける刺激が、
時に心を擦り減らす。
それは、相手が悪いわけではない。
好きだからこそ、無意識にがんばってしまう。
気をつかいすぎて、自分を忘れてしまう。
相手を意識しすぎて、呼吸のリズムが乱れる。
人は人によって磨かれる。
だが同時に、摩耗もする。
それは、相手が悪いからでも、自分が弱いからでもない。
ただ、その距離と熱量が、今の自分にとって強すぎただけだ。
刺激とは、
自分の中の「まだ触れていない部分」を揺らすもの。
それが快いか、痛いか、疲れるかは、
そのときの心の状態次第だ。
だからこそ、こう思う。
他人の刺激を受けるときは、
自分を忘れすぎないように。
感動し、憧れ、共鳴しても、
「自分のペース」に立ち返れる余白を持とう。
そして、疲れたら、離れてもいい。
好きであることと、疲れないことは、両立していいのだ。
作品名:人から受ける刺激について 作家名:タカーシャ