時をこえて、やさしさは生きている ――古代・江戸・現代、心
――古代・江戸・現代、心のかたちの物語
人は時とともに生きてきました。
火をおこし、田を耕し、戦を避け、平和を願い、今の私たちへとつながってきた。
衣食住は大きく変わり、家族のかたちも、働き方も、日々の暮らしもまったく違うものになったけれど、
ひとつだけ、変わらずに流れてきたものがあります。
それは「やさしさ」と「思いやり」。
ただしそのかたちは、時代によって、少しずつ変わってきました。
古代 ― 生きることが、やさしさだった
縄文の人々は、自然とともに生きていました。
山の恵み、海の恵みを分け合い、ケガをすれば手当てし合い、
「誰かが生き残る」ことよりも、「みんなで生き延びる」ことが大切だった。
言葉で慰めるよりも、黙って焚き火を分ける。
そばにいて、食べ物を分け合う。
それがやさしさでした。
思いやりとは、そもそも生きることそのものだったのです。
江戸時代 ― 義理と人情が、人の世を支えた
時は流れて江戸時代。
身分制度があり、町には商人、村には農民、武士たちは町を守る。
暮らしには秩序があり、人づきあいにも決まりがありました。
けれど、その厳しさの中にも、情のある世界が広がっていました。
困ったときには「おたがいさま」。
お金がなくても「恩を返す」という形でつながることができた。
人の心は、言葉と行動で示す「義理と人情」。
たとえ不器用でも、面と向かって付き合うことが、やさしさだったのです。
現代 ― 見えないところで支え合う、やさしさ
そして、私たちの時代。
スマートフォンひとつで誰とでもつながれる一方で、
隣に誰が住んでいるかさえ知らないこともある。
人は自由になった代わりに、孤独にもなりました。
それでも、思いやりは生きています。
「無理に立ち入らない」こともやさしさ。
「がんばれ」よりも「ゆっくりでいいよ」と言う方が、支えになることもある。
言葉よりスタンプ、面と向かう代わりにそっと置かれたギフトカード。
今の思いやりは、「そっと寄り添う」かたちをしています。
人と人との境界を尊重しながらも、心ではちゃんとつながっている。
そしてこれから ― 心は変わる、でも本質は変わらない
時代が変われば、やさしさの形も変わる。
でも、その根っこは変わっていません。
「あなたを大切にしたい」
「あなたの苦しさに気づきたい」
「自分ひとりでは、生きていけないと知っている」
そんな、人としての根源的な願いと痛み。
それが、やさしさや思いやりの源なのだと思います。
だからこれからも、どれほど時代が変わっても、
やさしさは、どこかで必ず生きている。
たとえ見えなくても、
たとえ遠くても、
心と心は、やさしさでつながる。
きっとそれは、どんな時代にも、変わらない真実です。
作品名:時をこえて、やさしさは生きている ――古代・江戸・現代、心 作家名:タカーシャ