昭和vs令和 〜許された時代と、問われる時代〜
昭和。
それは、「なんでもアリ」だった時代だ。
遅刻すれば教室の外で立たされ、
先生のゲンコツは日常。
「体罰」という言葉さえ知らなかった。
令和。
いまは注意のひと言にも、配慮が求められる。
「叱る」はすぐに「ハラスメント」に変わり、
教師も親も、息をひそめるようにして育てている。
昭和の家族は、にぎやかだった。
狭いちゃぶ台に何人もの兄弟。
風呂は順番、テレビは一家に一台。
みんなで見る「紅白」が、年の終わりだった。
令和の家族は、静かだ。
一人一部屋、一人一スマホ。
同じ屋根の下にいても、
会話はLINEで済まされることさえある。
昭和の働き方は、滅私奉公。
上司の酒に付き合い、サービス残業は当たり前。
「会社に尽くす」ことが美徳だった。
令和の働き方は、効率と自分軸。
リモートワーク、ワークライフバランス。
「会社より、自分を大事にしろ」
それが標語になる時代だ。
昭和の人間関係は、濃かった。
口うるさい隣人、しょっちゅう怒鳴る親父、
でも、困ったときには助けてくれた。
令和の人間関係は、薄い。
名前も知らない隣人。
困っても、助けを求めることすらできない。
でも、その代わり、嫌な人とは最初から関わらなくて済む。
昭和は、不自由なようで自由だった。
令和は、自由なようで不自由だ。
昭和はアナログだった。
不便だけど、人の手と心のぬくもりがあった。
令和はデジタル。
便利だけど、冷たさと孤独も同居している。
昭和が育てた命が、
今、令和の高齢社会を支えている。
笑っても、泣いても、
令和は昭和の“子ども”なのだ。
だからこそ、
どちらが良い、悪いではなく
何を残し、何を変えていくか。
それを問う時代が――令和なのだと思う。
作品名:昭和vs令和 〜許された時代と、問われる時代〜 作家名:タカーシャ