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旅エッセイー東北庄内

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神秘の出羽三山  米沢、鶴岡、庄内、湯殿山(202410)

 今回は初めての山形県へ。まず米沢に一泊。
 米沢といえば上杉鷹山推しで、上杉神社でも博物館でも功績を称えている。米沢藩の藩政改革を行った名君の「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」という言葉はよく聞く。J.F.ケネディが、最も尊敬する日本人に鷹山を挙げたこともよく知られているという。財政難だった米沢藩を先代家老と対立しても財政支出削減、産業振興をはかり、自らも質素倹約を貫き、藩校を作って身分を問わず学ばせ、公娼制度の廃止にも取り組み、ついに莫大な借金を返済し藩をたてなおしたとか。ああ、こんな政治家が現代にも現れてくれないものか。
 
 翌日は庄内地方へ。最上川河口の酒田の倉庫街を見て「おしん」の世界に思いをはせる。鶴岡市内の明治の洋館を集めた致道博物館というところにはなぜかドールハウスのコレクションがたくさんあった。
 昔読んだ児童文学に、シカゴ美術館のミニチュアルームの中に異世界トリップして冒険する子供たちの物語があったが、作りこまれたドールハウスの家具調度を見ていると中に入って等身大で見てみたくなる。
 この日の宿は鶴岡市由良温泉の海に近いホテル。海岸までは歩いていすぐ。周囲には建物も少なくけっこう寂しい。
 夕方庄内の江の島と言われる白山島に橋で渡れる由良海岸を散歩する。由良は出羽三山の開祖、蜂子(はちこ)の皇子上陸地点だという。崇峻天皇の息子、厩戸の皇子(聖徳太子)の従弟なのだそうだ。
 飛鳥時代、崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺されたとき、厩戸の皇子が蜂子の皇子に「ここにいては危険だから都を脱出し出羽の聖なる霊山を目指したほうがいい」と勧めたという。
 そこで蜂子の皇子は丹後の由良から出港、海岸沿いに北上、出羽の奇岩が美しい浜にたどり着き、八人の乙女が岩の上で舞うのを目撃。すると恵姫(えひめ)と美鳳(みおう)姉妹が皇子を招き入れた。彼女たちが踊っていた場所を「八乙女浦」、出航した丹後の由良にちなんで上陸地点を由良と名付けたそうな。
 その後皇子は洞窟にこもって修行し、霊山に向かったが、山中で迷ってしまう。そこへ片羽2メートル越えの大きな八咫烏が現れ山頂に導かれたという。大烏が導いた山だから羽黒山と名付けられたとか。
 皇子は山頂に祠を祀り、月山、湯殿山を次々に開山する。現世利益を叶える羽黒山が現在、夜と死後の世界を司る月山が過去、陽光と再生を司る湯殿山が未来、になるそうだ。三山をめぐると現在過去未来を巡ったことになるらしい。皇子が開祖となった山岳信仰は山伏に受け継がれていく。
 八乙女浦の洞窟と羽黒山の山頂宮殿が地下でつながっているという言い伝えもあるらしい。たしか江の島の洞穴も富士の風穴だか氷穴だかとつながっているのではなかったか。洞窟といえば探検しきれない奥の方がどこかに通じている、と思いたくなるものなのだろう。
 
 さて翌日はその羽黒山に向かうが、神社の入り口まで車で行けるのにカーナビが徒歩の登山道を示してしまい、しばし道を探して迷う。歩けば1時間、車なら10分。本来徒歩で階段を上ってこそ霊験がありそうだが、自分たちには無理だ。そういう人間がほとんどだろう。上にも結構広い駐車場があった。
 羽黒山は出羽三山神社三神合祭殿なのでここにくれば出羽三山を拝んだことになる。神職と山伏の恰好をした人が参詣している。京極夏彦の「巷説百物語」に出てくる御行の又一よろしく、頭を白木綿の行者包みにし、ほら貝を抱え、金剛杖を持ち、偈箱ならぬ白い頭陀袋を下げた白装束の本格的な行者さんがいる、と思ったらどうもガイドさんのようで、参拝者になにやら説明していた。後で帰りがけに白装束の彼がスマホで話しているのを目撃したのだが、過去にタイムスリップしたのに未来のものがある、みたいな違和感が気になった。
 
 そして湯殿山へ。駐車場から参詣口までシャトルバスがあるのだが、我々が着いた時、バスは出たばかりだった。周辺には即身仏の祠が立ち並ぶ。食を絶ち土の穴にこもり経を誦しながら餓死して自らミイラになるというあれだ。祠のガラスの扉の中には本当にミイラが座しているわけで、ありがたさより不気味さが漂う。即身成仏は真言宗系の思想らしいがここは神社。いわゆる典型的な神仏習合。
 ここで30分待つくらいなら、歩いても30分で行きつける、とバスの通る舗装道路を歩くことにする。湯殿山本宮の10メートルくらいありそうな巨大な赤い鳥居をくぐり緩やかな斜面をてくてく歩く。さして苦にはならない程度の登りで、むしろ景色をゆっくり堪能でき、バス代も節約でき、歩いてよかった、と納得する。
 バスの駐車場に着くとそこには湯殿山神社本宮参道入り口の看板があり、そこから先は階段を上ったり下りたりしてしばらく歩くことになる。階段を上ると、ここから先は神域なので撮影禁止の看板。バスに乗ってもそこから先は結構歩くので、足の調子が悪い人が参拝するのはかなり大変と思われる。
 登って降りていくと社殿が見えてくるが、ここはいわゆる普通の神社とは様相が異なる。湯殿山のご由来の看板によると蜂子皇子開山後、加賀白山を開いた上人、修験道の祖役小角、真言宗開祖空海、天台宗開祖とその弟子、もここで修行したとか。江戸時代までは真言宗、明治維新の廃仏毀釈で神社に戻ったらしい。
 そして説明板によれば「湯殿山本宮ではご神体を目の当たりに拝し、直に触れてお参りができる御霊験の有難さにより、古来『語るなかれ』『聞くなかれ』と戒められてきた清浄神秘の霊場」なのだそうだ。したがって詳しいことはここには書けない。しかし他の神社とは全く違う珍しい霊場で本当に素晴らしいので、一生に一度は足を運ばれて参拝し、ご自身で確認されることをお勧めしたい。
 参拝し終え戻るとき、足元を小さなカナヘビがちょろちょろと通り過ぎて行った。そういえば以前ネットで神社に詣でる動画を見ていたら、そこの参道脇にもトカゲが現れ、投稿者がトカゲは神様のお使いだから幸先がいい、というようなことを言っていた。ご利益がありそうな気がする。
作品名:旅エッセイー東北庄内 作家名:鈴木りん