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サボテンと檸檬

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檸檬



「ごめん、待った?」
「ううん、大丈夫。」

どこか入ろうか、と辺りを見渡す健ちゃんのコートの裾を掴み、首を横に振った。ふたりきりになりたかった。
私の大学は都心にあるためいつも渋谷で買い物をしてから家に帰る。
早くて20分で駅に着くが今日は遠回りをしようと決めていた。

しばらく歩いていると先週出来たばかりの雑貨屋さんが見えてきた。
目の前を通ると、ウィンドウに反射したふたりの姿が目に入り私は思わず足を止めた。
私たちは周りからどう見えているのだろう。

すれ違う誰か一人だけでもいい。
【恋人同士】に見えていたらいいのに、と頭の片隅で考えていた。

そういえば健ちゃんの隣を歩くたびにそんなことを考えていたなとひどく懐かしい気持ちになり少し笑った。その様子が可笑しかったのか、健ちゃんがつられて笑う。ああ、好きだなあと。今すぐにでも、この想いを貴方に届けたい。

「ねえ、健ちゃん。」

勇気を振り絞り話しかけたその時、檸檬の香りがどこからかした。
私たちの歩いている路地裏にはカフェがたくさんあるためこの香りはどこのお店からか検討がつかなかったが、目線の先に小さな黒板のウェルカムボードに檸檬のイラストが描かれているのを見つけ『ちょっとだけ寄っていこうか。』とふたりは古びた時計がたくさん置かれている雰囲気のあるカフェへと吸い込まれていった。

店内に入ると20代半ばくらいだろうか、目の大きな焦げ茶色の可愛らしいボブヘアの女性が席へと案内してくれた。

「紅茶と檸檬ケーキで。」
「私も同じもので。ミルクもください。」

そのカフェは老夫婦で経営しているらしく
仲睦まじそうにカウンターで会話をしているのが見えた。

「ごめんね。」

その言葉に、自分で言ったにも関わらず私はびっくりしてしまった。
彼に伝えようと考えていた言葉とは違う言葉が零れ落ちたからだ。

「サボテンのこと?」
「うん。」
「気にしなくていいよ。ただのサボテンだし。」

ただのサボテン。普通に考えると私にとってはただのサボテンだが、彼にとってはただのサボテンのはずがない。

だってあのサボテンは彼と彼女を確かに繋いでいた「永遠に溶けない結晶」のようなモノだ。

窓の外を見ると街は段々と夜の明りを灯し始めていた。
この場所から見る外の世界はどこか重々しく、誰もが手のひらで呼吸する小型電化製品に視線を落としながら颯爽と人混みを歩いていた。

誰かの声やその街ごとの騒音など日常に溶け込んで当たり前となっている自然な音ほどドラマチックで儚い音はないと今まで考えていたけれど、それが全く聴こえてこないこの空間では何もかもが無意味に感じた。

ひとりひとりが自らこの世界をシャットダウンし『自分だけの世界』を創り上げその中で日々を生活しているようにすら感じた。繋がっているように見えて遠く離れている。

こんなに近くにいるのに生まれてから死んでいくまで私たちは確かに他人で、個々なのだ。 
   
そんな世界に疑問を持たず今日も生き続けている。それが通常だ。

いつの間にか机に置かれていた檸檬ケーキにようやく気付きそっとフォークを入れ静かに口へと運んだ。

「美味しいね。」

黙々と食べている健ちゃんの邪魔にならないよう話しかけ微笑んだ。

「二人だけでご飯とか初めてじゃないか?」
「確かに。今気付いた!」

居心地がとても良かった。
私の想いを伝えたら、この居心地の良さはなくなってしまうかもしれない。
ずっとそれを恐れていた。



カフェを出ると冷たい夜風が頬に触れ、見上げた空にはこれ見よがしにと星が輝き始めていた。

「あのね。」
「ん?」
「ずっと好きだったんだ、健ちゃんのこと。」

伝えても、伝えなくても、当たり前のように夜は来てその想いを乗せながらまた新しい朝が来る。
そんな日々の繰り返しの中で、誰しも平等に「権利」を与えられているのなら私は気持ちを届けることが正解だと思う。

健ちゃんは一瞬驚いた表情をしたが、すぐにいつもの優しい顔に戻った。
そして冷え切った私の頬を軽く右手でつねり

「俺さ、まだ好きなんだよね。」と私に告げた。

「いつでも相談してね。」なんて本当はこれっぽっちも聞きたくないのに嘘を付き始まった「恋愛相談」が私と彼を繋いでくれる唯一の「時間」だった。

「元カノ?」
「そう、元カノ。」
「簡単に忘れられると思ったんだけどなー。無理だった。」
「そんなに好きだったんだ。」

都会の雑踏が一瞬にして遠のき、彼の声だけが私の耳の中で振動していた。

「…ごめんな。」


作品名:サボテンと檸檬 作家名:melco.