神の思し召し(続・おしゃべりさんのひとり言196)
神の思し召し
隣に迷惑ババアが一人で住んでおられました。
「出ていけ!」
引っ越しして来た日にそう言われて、私は困惑いたしました。
その日以降、なるべくコミュニケーションを図り、関係を改善しようと努力したのですが、
「うるさい! 声掛けんな! 出て行けって言ってんだろがい!」
と、まあ、そのババアは何が気に入らないのか、ひどく拒絶されるのです。お隣がこんな様子では住みにくい限りです。
私はその町では新参者で、他に相談できる相手もいません。なので天主様に祈るしかありません。
毎週金曜日には、教義を大声で唱えることになっているのです。
すると隣のババアは大声で文句を言って、祈りの邪魔をしてきました。
でも仕方ないことなのです。心が乱れている人は、この世の真理が理解できないのですから。
ババアはことあるごとに、私に攻撃を仕掛けておいでです。日常的に窓から大声で罵ったりされるのです。
でもそんな日々が続きますと、(近所の住人はどう思われているのだろう?)という疑問が湧いてまいりました。
ある日、地域の集まりがございまして、向こう隣のご主人と話す機会を持てたのです。
ババアは出席しておられませんでした。
「あの婆さんね。きっと寂しいんですよ」
(寂しい・・・?)
私はあのババアが一人で生きていく試練に負けぬよう、常に強気でいようとしておられるのだと想像しました。
それなら可哀そうな気もいたします。
向こう隣のご主人は、私にそう気付かせてくださいました。(彼はきっと天主様が使わされた預言者なのだろう)そう考えて、そのババアのことはそのまま受け入れることにいたしました。
(救えるなら救ってあげたい。それならババアの為に、もっと大声で祈りを捧げてあげるべき)
それからというもの、金曜日には大声で祈りを捧げ続けたのですが、ババアの嫌がらせはますますエスカレートいたしまして、私の家の敷地にゴミを捨てられたり、車に唾を吐きかけられたり、うちの洗濯ものに泥をおかけになられたり・・・。
これはどう考えても度を越しておりますよね。警察に相談しようかとも迷いましたが、まず導師様にご相談させていただいたところ、
「捨ておきなさい。そのような迷いはあなたの道に・・・・・・(うんぬんかんぬん)」
ある日、隣の家の壁にヒビが入っているのに気付きました。
(古い家だからな)そう思って捨ておきました。
そしてそのヒビが少しずつ大きくなってきたのです。
(教えてあげた方がいいのかな? いや、余計なお世話だろう)
またある日、裏の川の土手を歩いていると、そこに地割れがあるのに気付きました。
この地割れの先には、ババアの家。
この土手が崩れかかって隣の家に捻じれが加わり、壁にヒビが入ってしまったのでしょう。
(まさか、天罰が下ろうとしているのではないか?)そんな想像が脳裏をよぎりました。
(それに気付いたのは、きっと神の思し召しに違いない)すぐにババアに知らせてやろうと思い直しました。ところが、
「うるさいよ! そんなこと言う暇があったら、早く出て行けよ!」
まったく、取り付く島もございません。
土手の件は行政に報告しておきましたが、すぐに動いてはいただけないご様子。
そして日を経ずして、金曜日には大雨が降ったのです。
私はいつも通り大声で天主様に祈りを捧げました。でもこの日は雨音のせいか、ババアの怒鳴り声は聞こえてまいりませんでした。
すると私の知らないうちに川の水位が上がり、ヒビの入った裏の土手は決壊してしまいました。
ゴー!っという水の音と共に、大洪水が起こり、辺り一帯の民家は流されてしまったのです。
あの日、ババアは避難所にいたようです。
しかしながら私は死んでしまいました。
そうして初めて天主様にお会いすることができたのです。
「神よ。どうして私は助けてくださらなかったのですか?」
「何度も隣の婆さんに、早く出て行くように言わせただろう」
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こんなショートショートはよくあるよね。
このストーリーの評価はどうでもいいとして、僕はこの主人公がいつ運命に気付くかってことが気になります。
つまり(ここに住んでちゃヤバイ)って気付くタイミングですよ。
まさか隣のババアと初対面の時の言葉を受け取って、すぐ引っ越すなんてあり得ない。
日々エスカレートする嫌がらせを苦にして、早々に逃げ出すべきだったのか。
信心深く神に祈ってたのに、それが目を曇らせる要因だったのか。
土手の地割れを見付けてたんなら、大雨の時、せめて避難していたら。
後から思えばいくらでもチャンスはあったんです。
神に頼る性格も、現実を直視できない理由になってるのかも。
でもそれに気付けないのが日常ですよね。
僕の周りにもきっと、こんな些細なきっかけがいっぱいあるんだろうけど、それに気付けてないだけで、運命の分岐点を素通りして来ていたのかもしれません。
先日、あることに気付きました。
靴の紐が解けてたんで、立ち止って結び直したんですが、
(最近、よく解けるな)
ふと思えば一ヶ月間に、5~6回くらい解けてしまってる気がします。
(あれ? よく考えたら左足ばかりじゃないか)
偶然かもしれませんが、左足ばかりが解けるには何かしら理由があるはずです。
靴紐になんらかの不具合が生じていて、固く結んでも滑りやすく解けやすくなってしまってるとか。
よく調べても原因や手掛かりは見付けられませんでした。
何で左足ばかりなのか、気になって仕方ないんです。
とにかく左足に注意が行くようになりました。
靴を履く時、左足から履いたり。
普通に歩いているだけで、紐が解けてないかチロチロ見たり。
靴を脱ぐ時に、緩んでないか再確認したり。
そんなことをしていると、靴を履いてない時にも気になって、
左のソックスが破れてないか見てみたり。
家の階段を踏み外さないか、左足に力を入れたり。
お風呂に入る時、ゆっくり左足を湯船の底に着けたり。
こんなことをしだすと、足だけとは限らないと考えるようになってきて、左手、左目、左耳と、左を使う時は慎重になってきました。
結果、何も起きません。
左の靴紐とこれからの運命に因果関係ってないですものね。
それ本当ですよね!?
先日、山登りをしました。
いつもの左が解けるスニーカーじゃなく、登山靴を履いていますので、あまり靴のことは気にしていませんでした。
すると道中で石を踏んでしまい、十数年ぶりに足をぐねって、ひどい捻挫をしてしまいました。
左足でした。
なんでなん? どういうことなん? 靴紐? 靴紐の祟り?
やはりあれは「災難に備えよ」と言う、神の思し召しだったの?
まあ骨折ほどの大ケガではなくてよかったんですが、これが結果なのだろうか?
ひょっとして、まだもっと何か起こるんじゃない?
気になって気になって、毎日が気が気じゃない。
あの靴紐は、ネットで調べて解けにくい面倒な結び方に変えました。
そんなことで災難の予防になればいいけど。
つづく
作品名:神の思し召し(続・おしゃべりさんのひとり言196) 作家名:亨利(ヘンリー)