赤い涙(改稿バージョン)
4.消えた?
それから、昂は毎日樹と顔を合わせるようになった。樹の出てくる時間は本当に正確で、毎日同じ時間に水を撒く。昂はそれに合わせて家を出るようになった。
(俺、何やってんのやろな)
通りすがりに挨拶するだけなのに、昂は毎朝、ドキドキしながらきっかりその時間に笹川家の前を通れるように行動している自分に、自分で呆れていた。
相変わらず樹の心は全く読めない。しかし、全く読めないという事実が却って昂の恋心をかきたてていたのだ。
昂にも今までに気に入った女の子が全くいなかったわけではなかった。だが、気に入ると、自分に対する思いがどうなのか知りたいと思うのは人情というものだ。そして、その娘の心の中を覗いてしまったが最後、昂の気持ちは急速に褪めていく。誰もが完璧な人間などいない。そんなこと解かりきっているはずなのに、自分への気持ちではなくてもその娘の中にある裏腹を見てしまうともう駄目なのだ。
そして、ある土曜日、本来ならば公立高校は休みのこの日に、昂は同じ時間笹川家の前を自転車で訪れた。
果たして樹は、曇り空で今にも泣き出しそうだというのに、いつも通り庭の草花に水をやっていた。
「おはよう」
「おはようございます」
樹は昂の言葉に相変わらず無表情に挨拶を返した。
「雨、降りそうやね」
(他に何か言うことないんかい、俺!)
さんざんきっかけの言葉を道中考えていたにもかかわらず、昂の口から出たのはそんなありきたりの天候の挨拶だった。
「はい」
樹の方も、怪しい空模様を肯定したにも拘らず、草木に水をやる手を止めない。
「な、君いくつなん?」
「17歳だと聞いてます」
続く昂の質問に、樹は他人事のようにそう答えた。
(記憶ないんやから、それもしゃーないのか)
「へぇ、同い年やん。ほんなら学校はどこなん」
「学校? 学校って何ですか」
通っている学校を聞かれた樹は小首を傾げてそう答えた。
記憶がないとしても、いやなくなったのなら余計に周りは躍起になって彼女のそれまでの歩んできた道を彼女に説明するはずである。それどころか、樹の言い草はまるで学校の存在自体を知らないといった風だった。
「あ、ゴメン。記憶がないんやったら、どこの学校に行ってたかも忘れとるわな」
「謝らなくてもいいです。事実ですから」
ただ、そう言った時、樹が初めて照れて笑ったように昂には思えた。
「樹、雨が降ってきそうだ。こんな日は水を撒かなくていいから、早く中に入りなさい」
その時、京介がそう言いながら庭に出てきた。
「はい」
樹はその声に頷くと、自身の兄の許に歩いて行った。そして、京介はそんな樹の肩を抱き、家の中に入ろうとしたのだが、目線の先に昂を捉えた。彼はあからさまに不快だという表情をしてこう言った。
「また君か。今日は何の用だね」
「あ、あの…今日は通りかかっただけで……」
昂はしどろもどろになってそう返した。
「通りかかっただけ、か。まあ良い」
それに対して、京介は鼻で笑ってそう言った。
その時、昂の頬に雨粒が当たった。彼は暗さをます空を見上げた。
「やっぱり降ってきたか。早く中に入らなければ」
京介はそう言うと、そそくさと樹の肩を抱いたまま家の中に入って行った。
(そんな言うほどの雨ちゃうやん。やっぱ俺、京介さんによっぽど嫌われてるんやな)
その態度に、京介が雨を理由にして自分を樹から遠ざけようとしているのだと昂は解釈したのだ。
そして、その場に一人残された昂は、しばらく所在なく立っていたが、別にどこに行くあてもなかったので、そのまま元来た道を引き返して行った。
週が明けた月曜日……昂はいつもの時間に笹川家の前にやって来て驚いた。
笹川家の前と言う言い方は正確ではないかもしれない。何故なら、土曜日まであったその家は今、忽然と姿を消してしまっていたからだった。
(俺、夢見てたんやろか……)
昂は、家のあったと思しき場所に、呆然と自転車を停めて立ち尽くした。
作品名:赤い涙(改稿バージョン) 作家名:神山 備