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亨利(ヘンリー)
亨利(ヘンリー)
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自作マンガ履歴(続・おしゃべりさんのひとり言189)

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自作マンガ履歴



古い本棚を整理してたら、卒業アルバムと一緒に卒業文集とかも出てきたんだ。
その中にマンガの同人誌があったんで、懐かしんで読んでたんだけど、
(そう言えば・・・)と思って探してみると、辞書みたいな分厚いノートに何ページも、ほのぼの4コマ漫画(自作)を描いたのを残してて、それを読み返してみると自分ながらに頬がほころんだ。

僕は小説を読みながらベッドに入ることが常。
でも最近、だんだん読むものが無くなってきて飽きだしてました。
どこを探しても近頃の小説って、テンプレ通りの異世界転生物とか追放物が多いでしょ。
僕はこんなのも好きですけど、主人公は大概、無職やニート。まさか作者も?
「大人なんだからもっとマシなもの読め」って言われそうだけど、作品によってはうまい表現や、凝ったストーリーもあって、結構面白い。
でも素人っぽく文章がへたくそなのも、すごく多いんですよね。
(どんな奴らが書いてるんだ?)って思ってたら、それらは同人誌に掲載してるようなアマチュア作品ばかりでした。
(じゃ、僕と同じか)ってことで、ディスるのはやめておきましょう。
でも同人誌と言えば、普通はマンガじゃないですか。そうじゃないの?
僕はそう思っていたけど、画力はないけどストーリーを書きたい人が、同人小説を製本する。それも当然の話か。
というより、マンガが世に広まる以前は、後の文豪たちが自主出版してたのを同人誌って呼んでた時代があったんだった。
最近じゃアマチュア小説は投稿サイトで発表されて、アクセス数の多い作品が正式出版されるのはもちろん、マンガ化されることもあるじゃない。
ちょっと前はマンガや映画、ドラマがノベライズ化されることが多かったけど、最近は投稿小説が原作ってマンガも結構多くなってるね。
それでそういった作品に興味が湧いて、気軽なアマチュア漫画も読むようになったんだ。

同人誌と言えば、僕も高校の時、マンガを描いてた。
いや、小学校の時から大学ノートに鉛筆で色々描いてたんだった。
『ピンチ丸だよ』←小学3年の時。
オバQ みたいに厚い唇の真ん丸顔のスーパーヒーローもの。ふんどしを着けると空が飛べる。キャラの顔は忘れてないけど、どんな話を書いたかもう覚えていない。
『フッタタクシー』←小学4年の時。
友達の渕田君(フッタ君)が主人公のタクシーの運転手で、異次元空間で妖怪やモンスターを運ぶ。ストーリーは特になく、フッタ君が命を狙われて、なんとか逃げ切るような単純エピソードばかり。怖いキャラを描くのに凝ってた。
小学5年の頃には、友達も何人かマンガを自作していて、そのノートを交換して持って帰って、家で読むのが流行ってた。
マンガを描けない子も借りたがるから、自分のノートを持って帰り難くなってくると、授業の合い間の休み時間に描くしかない。
クラスにはそんな生徒が他に3人くらいいて、彼らと「合作で何か描いてみたらどうか」ってアイデアが、担任の先生から出たんだ。
「小学校を舞台にした話がいいよ」と先生が言う。
でも僕らは、学園ものなんか面白くないと思ってたから、宇宙戦争ものを描くことにした。
『宇宙小学校〇△☐』。(伏字は僕の小学校名が入る)
宇宙戦艦ヤマトが流行ってたので、そのパロディー的なものだったけど、友達や先生が登場する。交代で家にノートを持って帰って描いてたけど、それを無計画にやってたから方向性がブレブレ。描き手によってキャラの顔に違いが出ないように、皆でタッチを合わせてた。結局未完だったな。
当時の学級新聞に、僕はそのキャラで4コマ漫画も描いていた。

中学の時はクラブ活動や塾の時間で、マンガを描く余裕は無くなってしまった。
でも高校の時、同人誌を作ろうって話になったんだ。
それが冒頭の懐かしい同人誌だ。
言い出したのは才能豊かなオタク女子のお花さん。(彼女は全国高校生クイズの関西予選で決勝戦まで勝ち進んだキワモノ、いやツワモノ)
中学の時から同じバスケ部で仲の良かったフクちゃんと、高校で映画研究会を作った盟友のダレさん、同じクラスだったセコビッチと参加した。僕のペンネームはキッドだった。
お花は表紙デザインと緻密なイラストを10枚ほど描いただけだったけど、フクちゃんは物知りだったから、かなり本格的なSFストーリー『ハイパー達』を描いてた。でもそれはマンガと言うより、小説の挿絵みたいなもんだった。
セコビッチはそれなりに・・・何描いてたかも覚えてないくらいだったけど、『オコジョ博士』は今でも結構笑えるギャグものだった。
画力は僕とダレさんが高い。
もともとダレさんは、僕も一緒に自主製作した8ミリ映画『戦国生徒会』の絵コンテを描いてくれてたから、それを修正してマンガにしてた。(長編投稿小説の『映画 戦国生徒会』を参照してください)
僕はって言うと、可愛いキャラが描きたかったので、テレビ界に激カワアイドルが登場して世間を賑わすけど、それは芸能プロダクションがCGで造った架空の人物だったってオチ。
今から40年も前に精巧なCGで騙せるのかってアイデアは、友達の中で賛否両論あったけど、現代じゃ普通のことだよね。
普段イラストを描く時は、鉛筆か水彩絵の具だけど、マンガとなるとそうはいかない。
友達はサインペンやボールペン、ロットリングという製図用のペンを使ってたけど、僕は漫画家さんが使う、Gペンと丸ペンを使ってみた。
でもそれ、馴れてないから難しかったみたいで、今見ると線が震えてる。

そのマンガ自体は1ヶ月くらいで完成したけど、オフセット印刷がすごく高くて手が出せなかったので、普通の白黒コピー機を使って、試行錯誤しながらB4サイズで両面プリントして、ホッチキスでB5に綴じて、僕が一冊ずつ表紙をのり貼りしたんだけど、そこそこいい出来に仕上がってる。
70ページに満たない薄っぺらぺらのコピー誌でも、文化祭で500円で20冊ほど売れてたと思う。
利益なんてほとんどなかったはずだけど、その売り上げでコロッケとかを買って来て、皆で映画研究会の部室で打ち上げしたんだった。

それ以降は、冒頭の4コマ漫画しか描いていない。
キツネとクマのカップルの結婚生活のトラブルを短編で綴る。
それは2~3年かけて、50ページくらいまで描き進めて頓挫してた。
なんで止めちゃったのかな?
当時は発表する場がなかったんだよな。きっと。


     つづく