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訪問介護と永遠の言葉

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「こっちへおいで」と老人が浴槽の中に介護士をいざなった。
 訪問介護員の貞子は意を決し衣服を脱いで湯船に漬かった。対面して両手を老人の裸の胸に置くと、細い指がゆっくりと秘部に入ってきた。
 還暦を過ぎた貞子には恋をするという望みはない。お腹は鏡餅のようにだぶつき、乳房はだらしなく垂れている。
 老人は貞子の首筋に息を吐きかけ呼吸のリズムを合わせながら、メタボリズムの同調性を高めていく。上げ潮の波が乾いた砂地を潤すようにその動きは貞子の脳を支配していった。催眠術のように。
 貞子の腹直筋は衰えて膣内には複雑な皴が寄っている。老人の指はかたつむりのようにゆっくりと動いてこれをもみほぐし、一つ一つの粘膜のヒダの奥を丁寧に刺激した。
 訪問介護員貞子は泣き叫んでいた。
「私はダメな女です。でも、私は幸せになりたかったんです」
 老人は三十分ほどかけて恥骨の陰に隠れた処女地を掘り起こした。貞子はびくりと痙攣し、生まれて初めての絶頂に達して気を失った。それはたった数秒だったのかもしれないが、人はこれを永遠と言うのであろう。
 貞子は時給九百八十円の生活に甘んじる六十代の女性である。日々、介護の対象となる老人から暴言、ときには暴行も受けていた。
「あんたは茶の淹れ方もわからんのか!」と番茶で玉露の味を所望して何度も淹れ直させる老人もいた。顔を見ただけで、「今日はデブのババアか! ふん!」と怒鳴る人もいた。休憩時間は無く、暗い廊下の椅子に座って束の間に深呼吸をして気を紛らわすのみ。時給を上げてくれと社長に訴えると、「時給上げたらぼくは自殺するしかないなあ。困るのはあんただよ」と開き直った。
 若いころから容姿には自信がなかった。勢いにまかせて恋愛はしたこともあったが、二度も捨てられて気が付いた。自分は魅力がなく、性器なら何でもいいという男しか縁がない。自分はとことん男運がない女であると。だから身だしなみにも一切気を使わなくなった。
 この老人だけは違った。介護の合間に頻繁に感謝の気持ちを伝え、帰り際にはコンビニのレシートの裏に和歌を書いて渡してくれた。
「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを・・・・・・。貴方を思いながら寝たところ、夢の中で貴方に会えました。もしそれが夢だと知っていたなら、目覚めたくなかったのに、という意味です。私は昼寝から覚めたときに貴方がいたので今日は幸せです。またいらっしゃる日を心待ちにします」
「来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ・・・・・。貴方が来ない日は寂しく、うらぶれた気分になります。だからまた来てくださいね」 
 老人はかつて平安時代の和歌を研究する文学者だった。米寿を過ぎ、男性機能を失って久しく、曜日を理解することも、自分の名前を思い出すのも難しくなっていた。その脳底にかろうじて残っているのは、千年の時を越えて生きる愛の言葉のエッセンス、そして今は無き妻との睦愛の記憶だけである。
「夏の夜はまだよひながら明けぬるを 雲のいづこに月やどるらむ・・・・・・。私は毎日、昼も夜も貴方の美しさ、可憐さを想っています。いつもありがとう」
 老人は目を閉じ、何かをつぶやいていた。言の葉が真珠の粒のような妖しい光を放ちながら貞子の体の中に入っていくようであった。
 アルツハイマー病の痙攣が始まり、その指の振動は貞子を激しく揺さぶった。
「もっと、もっと私に言葉をください。この世に生まれてきてよかったと思えるだけのたくさんの言葉をください! あああ!」
 彼女は老人の細い首にしがみつき思い切り力を込めた。山鳥の尾のような長く赤い余韻を残しながら陶酔の時間が過ぎていった。
 気が付くと、老人はつぶやきと指の動きを停め、息絶えていた。
作品名:訪問介護と永遠の言葉 作家名:花序C夢