君はまだ死ねない はじまり
下に何が置いてあるかもわからない、ここがどこなのかもわからない。何を蹴飛ばしたのかもわからない。
しかし行く先はきちんとわかる不思議。こーいってこーいって。どうしてわかるかわからない。
窓から見える夜景は都会のそれで、ビルの屋上がそこらでこちらを覗くように見えることから、ここが結構な高さマンションだと思う。
なぜマンションか。それは人が住んでいるから。多分。
実はそれはあまり意味の無いことで、興味があるのはマンションでも夜景でもなく、暗闇でもなぜだか知らないけどわかる不思議でもない。
かたく閉ざされたドアを蹴破って、映画で出てくる特殊部隊さながらの速さで突進する。唖然とした少女の涙に躊躇することなく右手に持ったナイフを右手ごと蹴飛ばして少女の首を掴んでしまう。ああ、ヤバイ。自分がヤバイ人間というポジションに立ってしまったことを脳みその隅っこで確認。
当然。そんな立場なんてのは意味が無くて。
「うぅ・・・・・・うっ」
苦しそうに自分の腕に両手を絡み付けてきたところで手を離す。そんなに強く締めてない、ただおさえただけだから呼吸も問題無いはず。
困惑した表情を浮かべ、状況の整理が出来てないのと得たいの知れない人間が突然入ってきたことにより純粋な瞳でこちらを見る年端も行かない女の子。そう、その目。その目が見たい。
「実にグッドだよ、うん」
ゾクゾクと性的な快感に似た幸福が背筋を通って脳を刺激する。眩暈を起こしたように視界が揺れ、口の端が持ち上がるのがはっきりとわかる。でも顔は笑っていない。喜んでいるのは口元と脳みそと自分の心の中であって、ガッツポーズしたり笑い声をあげたりしていない。だから、気持ち悪い。非常に気持ち悪い姿になっている。
蹴飛ばしたナイフを取り上げて、柄を持って彼女に示す。
「どこで手に入れたのか知らないけど、これは多分持っちゃいけないものだと思う」
法的にも。人道的にも。
「・・・・・・誰」
女の子が口を開いた、そこまで脳みそは冷静さを取り戻したらしい。
でもまだ、人の話を聞くほどにはなってない。まだ彼女の脳内は混乱が駆け巡ってると思う。
「これは貰っておきます」
ナイフを手に入れた。もう三本くらい頂いてるのだけれど、この展開がやりやすくて好きなので貰うシナリオを選択する。ナイフ好きだし。
周りを見回してみるけど、暗すぎてよくわからない。外の明かりで、床になにかたくさん散らばっているのがわかるけど、重要なのは腰を抜かしている女の子一人だけのようだ。
「・・・・・・誰なのよ、あなた」
足が動いた。立ち上がろうとしているらしい。
「グッドだね」
立ち上がれるまで回復したならもう大丈夫。人間の適応能力って素晴らしい。
「ワタシの名前は結構どうでもいいんだ。もう退散するし」
立ち上がるのを静止させるように手を彼女の眼前に突き出す。暗すぎてよくわからないはずだからグーでもチョキでもパーでもよし。三つ合わせた複合技も一度だけやった。
映画やドラマ、アニメとかを見慣れた現代人ならばそれだけで硬直してくれる。そういうものだと脳が認識してるから。無意識のうちに空気を読んでいるのだと思う。多分。
そして、いったん体を硬直させる指令を出したら、硬直している自分に気付かないかぎり立ち上がらない。今度は意識しないと動けないのだ。それはつまり、周りの状況を汲み取ろうとしている、情報を欲しているんだと思う。イコール。
「ワタシは君をストーカーしていた者なんですよ。といってもつい三時間くらい前からだけど」
このとき話してあげたことは記憶に残してくれる。・・・・・・はず。
「君に言わなきゃいけないことがあって・・・・・・自己満足なのだけれど」
偽善の幸福感がまた脳みそを直撃する。素晴らしい、実に素晴らしい。この物語のような出来事を演じていることが素晴らしい。下半身が痙攣する、指先が震える、目の焦点が合わなくなって、喉が渇く。事故や災害に遭ったときのような、圧倒的な暴力と出くわしたときのような、恐怖みたいな快感。自分はこの興奮を上手く形容することができない。
「き、君は・・・・・・まま、まだ・・・・・・」
下が動かない、声が震えてしまう、うまく呼吸が出来ない。
窒息死してしまいそうだ。
「まだ死ねない」
作品名:君はまだ死ねない はじまり 作家名:にぼし