世界平和のなめこ汁
なめこはブナの倒木に隊列を組んだ軍隊のようにいかめしく密集していた。しかし彼らには武器も戦意も規律も無く、戦うこと能わずして、善良なる山人にさらわれて山小屋に連れていかれ、無抵抗のまま赤いホーロー鍋の中に投入されたのであった。
なめこたちは鍋の中に絹豆腐の白い柔肌を見つけると次のように主張した。
「多数決は民主主義の原則であり、われらの喜びはおまえの喜びであると決したのである。そして少数派が多少の我慢をするのは歴史の示すところの道理である」
「これで決まりだあ!」と歓喜の声を唱和し、包囲し、大量の粘液を分泌し、そしてその柔肌に接触を試みた。
豆腐は全身の苦りを凝縮させてその身を固め、合意無くして凌辱されることを拒否しようと無言の抵抗を試みた。
その時、登場したのは青臭い息を吐く筋張った青ネギである。最大多数の最大幸福、そして自由意志こそ民主主義の根幹であり、ひいてはなめこ汁のレゾンデートルであると主張して豆腐となめこの融和を試みたが、現実は現実として論は論として和合することはなかった。
これらの非対称極まりない不調和音を奏でる彼らの間にいつのまにか滑り込んできたのは、長い発酵の年月を経て形而上学的思考の高みに達した味噌である。これぞ天の采配あるいは森の神秘。摩訶不思議な化学反応が連鎖し、高分子化合物は低分子化合物を労りつつ、低分子化合物は高分子化合物を敬いつつ、具材一同、熱量を持って蕩けていくのであった。素材の風味が調和するに至り、その香りはなんとふくよかなことだろうか。
朝早くから肉体労働に励み、山のような疲労を抱え込んだ山人たちはその様子を眺めていた。調理係の青年がお玉で鍋をかき混ぜると銀河系の渦巻きの中でダンスを踊る星雲のようになめこたちはゆったりと回転した。青年はその小宇宙の一部を掬い取ると味見し「旨い!」と結論を述べた。一言願を唱えるとなんでも叶うという関西の神社に祭られた一言主が現出したかのように、疲れを癒すなにか特別な報酬を得たいという山人たちの願いはかなえられた。
木彫りの椀からずるずると大きな音を立てて山人たちに吸い込まれたなめこ汁は、口腔内の味蕾細胞と知覚神経を弦楽器のようにふるわせながら落下し、食道を至福で拡げながら快活に滑り降り、胃袋を充満させた。脳細胞は揺り動かされて、その想念は加速を続けて第一宇宙速度に達し成層圏を突き抜けていった。
猛き現世の垢にまみれた二十一世紀の民たちよ、ここに来て、見て、嗅いで、そして味わうがよい。人類がかつて味わったことがない世界平和とやらがこの鍋の中に現前化しているではないか! めでたしめでたし!