神の成せる業(続・おしゃべりさんのひとり言181)
神の成せる業
娘がアルバイト帰りに、ケーキを買って来てくれていて、「神~!」と感謝の言葉を伝えた。
これって、神様の何たるかを曖昧に(むしろ無視)した表現ですよね。
神様の概念ってどんなの?ってことで、家族で神様談義になりました。
雷が鳴ると怖がる犬がいます。
うちで飼ってた柴犬のベスもそうでした。
見えない何かに恐怖していたようで。
だから雷音が聞こえる度に、僕と妻はわざと大げさに笑って(怖くないよ~)アピールをしていました。
そのうちに雷なんか恐れない犬になったよ。
犬でさえ(考え方次第だっんだ)て思った。
家族でこんな昔話に花が咲いたのですが、ちょうどそのタイミングが昨年のクリスマスの日でして・・・
サンタクロースを信じるかどうかって、この前もひとり言しましたけど(No.179『子供の疑問』参照)、他にも考え方次第で気になったりならなかったりって、結構ありますよね。
子供が絶対に怖がる『お化け』は、うちの子は全く大丈夫だったようです。
小さい頃から暗い部屋で一人で寝てましたし、肝試しも怖くなかったそうです。
お化け屋敷はディズニーリゾートの『タワーオブテラー』や『ホーンテッドマンション』しか知らないから、むしろ楽しいところだって。
そして僕ら夫婦が心霊現象を論理的に説明してしまうから、娘は友達がお化けを怖がるのは(思い込みなのか)って思ってたそうです。
じゃ、「神様の存在はどうなの?」って聞いてみたら、「一応、信じることにしてる。その方が無難でしょ」だって。
「じゃ、具体的にどんなふうに信じてる?」
「幼稚園で習ったイエス様。それしか知らないし」
うちは仏教徒ですけど、娘はカトリック系の幼稚園に3年間通ってましたので、その間だけは、家でも神様にお祈りを捧げていました。
「それって、盲目的に信仰してるみたいで、あまりよくないんじゃない?」と妻が言う。
「じゃ、現実的に神様はいないって言った方がいい?」と娘。
「いや、そんなことしたら寺社参拝も、初詣も何も意味なくなるやん」と僕。
「そんなん気にせんでも、キリスト教徒でもお寺観光するやん」と妻。
「それ、神様に会いに行ってるんじゃなくて、どうせみんな建物とか見に行ってるだけやろ?」と娘が言った。
「それはよくないな。信仰してる人に失礼やし、一応お参りはせにゃ」と僕が真面目に言ってみると、
「じゃ、パパは信じてるん?」
「イエス様とかお釈迦様を信じてるんじゃないけど、神は存在すると思ってる」
こんな軽い会話から深そうなテーマにシフトし始めたんで、「ケーキを考案した人こそ神」で切り上げたんですけど、僕自身も神様の存在を盲目的に信じてるのかって言うと、それは絶対に違う。
僕が娘に言いたかったのは、人型の神様は人間が都合よく民衆を統率するために擬人化したか、神の預言者を名乗って、自分の言葉が神の言葉であると信用させようとしたとか、支配者の都合によってできていると思うって事。
そして僕が信じる神は、物が上から下に落ちるとか、音が空気を震わせて伝わるとか、日が当たって植物が育つとか、当たり前の自然現象のことで、これは地球の自然だけじゃなく、ビッグバンで宇宙ができた時からの法則だから、そのルールを決めた何者かが神そのものだって思ってるんです。
つまり自然の摂理こそが、「神が作り出したもの・・・いえ、神そのものだ」って言えると思います。
例えば、僕は何か悪いことをすると(罰が当たる)と思ってる。
それって、神様を信じてるみたいでしょ?
でもその神は、人の形をした誰かじゃなくって、(こんなことしてたら、いつか廻り回って自分の未来にしわ寄せが来る)って考えていて、(そんなふうに事が進んでしまうのは偶然じゃなく、必然となる何か原理か法則みたいなものがあるんだ)って思うんです。
逆に頑張ったり、いいことをすると全部自分にプラスの結果が返ってきますもん。
それを実体験してきて知ってるから、(悪いことはできない)と思えるんです。
その成り行きそのものが、極自然のルール。
つまりいろんな宗教が教えてくれてる大事なことは、神様自体が何かじゃなく、その導きによって、自分がどう行動するべきかってことなんだろう。
そもそも僕は、無宗教主義です。
冠婚葬祭があるからそれに従ってるけど、自らを神と名乗る教祖のいる新興宗教も否定しないし、エルサレムに行って、対立する3つの宗教の微妙なバランスに共感したこともあるし、世界中にある様々な宗教でそれぞれ神が違うってことも(さもありなん)と受け入れている。
イスラム教では偶像崇拝を禁じていて、神は人の形をしていない唯一な何かである点は、僕も納得できる。
仏教は釈迦を神とせず仏の道を説く伝道者で、それは宇宙の摂理に言及しているから、(僕の思う神のことを言ってるのかな?)って思います。
日本の神道では、八百万の神ってことで、何にでも神様が宿ってるって考え方が僕は好きだな。僕自身に宿る神もいるかもしれないし。(貧乏神は遠慮しますけど)
でもキリスト教は、人が神でしょ。こう設定されたのにも重要な意味があるんだろうけど、『聖書』に書かれている物語や『ギリシャ神話』は、やっぱり(作り話でしょ)って思っちゃう。
じゃ、日本の歴史書として有名な、『日本書紀』や『古事記』に書かれてる国の成り立ちもまた、ほとんど神話ですよ。これらを真面目に歴史学として受け入れている日本人としての信仰は、何者を神として・・・?
世界中で同じような観念で神様の存在が作り出されて、民衆に広め、長い歴史に渡って語り継がれているのには、きっと理由があるに違いない。
それこそが自然の成り行きで、そうした行動が神の成せる業(自然の摂理)なのかもしれませんね。
それを修行して、理解し、体得しようという人もまた、神だと思う。
ほら、ケーキ作りを極めた人も神だ。
※ ささやかにクリスマスを祝った家族内の会話ですからね。
つづく
作品名:神の成せる業(続・おしゃべりさんのひとり言181) 作家名:亨利(ヘンリー)