世界を握り潰す
ホモ・サピエンスとして此の世に屹立するおれは、
ばっくりと開いたその裂け目に
感謝こそすれ、恨む筈はないのだが、
おれは、やっぱりおれの裂け目を憎んでゐる。
さうしてほら、ほら、と夕闇が手招きして
おれを闇の中へと誘ふのであるが、
闇に身を投じて、可能性の世界を夢想する虚しさはもう知り尽くしてゐる筈で、
可能性と言へば聞こえはいいが、それは詰まるところ、雑念でしかないことに
思ひ至ったてゐるおれは、まだまだだなあと、嗤って見せては、
夢が既にその神通力を失った現在を振り返り
頭蓋内の闇を攪拌するやうにして、
おれはおれを捨つる哀しさは知ってゐて、
だからおれはおれを捨つるのだ。
今日は草臥れた
何だかな、
今日はとっても草臥れた。
何にも考へたくもないのだが、
つらつらと草臥れた頭蓋内の闇には
意味不明な表象がぶつ切りに浮かんでくる。
それを一いち追ふ力もなく、
草臥れちまったおれは
唯、眠る時のそれを待ち望んでゐる。
しかし、草臥れちまったおれは、
さう簡単には眠れずに、
往生する筈なのだ。
草臥れちまった時程に、
おれの自意識は爛爛と覚醒しはじめ、
その好奇心溢れる自意識はその頭をむくりと擡げては、
俺の頭蓋内の闇を攪拌す。
だからといって何ものかが見つかる筈もなのだが、
眠れぬ自意識は俺の臀部に噛み付き、
へっへっへっ、と憎たらしい嗤ひを浮かべる筈なのだ。
何だかな、
今日はとっても草臥れた。
瞼裡に再現前した表象に喰はれる
破戒でもしたのだらうか。
おれの意識は、
気を抜くと瞼裡に再現前した表象に追い抜かれて、
挙げ句の果ては喰はれる懸崖に追ひ込まれた。
その懸崖といふのがまた曲者で、
その懸崖の底にはこれまで瞼裡に再現前した表象の死骸が死屍累累と堆く積まれ、
このおれをその仲間にしようと手ぐすね引いて待ってゐるのだ。
つまり、おれは追ひ込まれちまった。
直ぐにでも瞼裡に再現前した表象に喰はれる恥辱を味はひ、
おれは意識を失って卒倒する馬鹿を見るのか、
それとも、おれはほんのちょっぴり残された
おれがおれであることの先の恥辱とはまた違ふ恥辱を堪へつつ、
ちぇっ、つまり、どの道恥辱しか残されてゐないのだ。
ならば、おれはおれの意識が生き残る夢を見ながら
瞼裡に再現前した表象に潔く喰はれちまった方がちっとはましで
懸崖の底の表象の骸の山に喰はれちまったおれの抜け殻をぺっと吐き出す
瞼裡に再現前した表象を我が物顔でのさばらせつつも
そいつに残るかも知れぬおれの夢を真珠の種の如くに植ゑ付けることに
辛うじて成功したならば、
おれは寄生虫の如くその瞼裡に再現前した表象に取り憑いて
闇の中に闇の花を絢爛豪華に咲かせるが如くに
おれの夢の花を瞼裡の再現前した表象を突き破ってでも咲かせる覚悟を決める時が、
この刹那なのかも知れぬ。
さて、どうしたてものだらうか。
尤も、おれは端からおれなんぞにちっとも信を置いてはをらぬが
それでもおれの生を繋ぐ本能は本能としておれにも宿ってゐるやうで
おれも生き物なんだといふその胡散臭い感覚に騙されることを知りつつも、
つまり、時時刻刻と騙されながらおれは生きてゐるといふ幻想と戯れながら
既にあの懸崖の骸の死屍累累と堆く積み上がった表象の山で、
断末魔の雄叫びを上げながら、
しかし、おれの闇の頭蓋内を吹き荒ぶ暴風にそれはかき消され、
最早その断末魔を誰も耳にすることはないのだ。
ざまあないな。
闇の中の祝祭
何処とも知れずに湧いてきた「魔のもの」たちの祝祭が
漆黒の闇の中で始まった。
それは欧州でのワルプルギスの夜と呼ばれるものに近いのかも知れぬが、
極東のこの島における漆黒の闇の中の「魔のもの」の祝祭は百鬼夜行と呼ばれるものか。
その祝祭はやけに楽しげで、
至る所でどんちゃん騒ぎが始まり、人が一人づつ喰はれる度に、
「魔のもの」たちは大騒ぎ。
その楽しさは極上この上ないものと見え、
「魔のもの」たちはどぶろくの杯を高々と上げて、
人一人喰われる度にその肉を美味さうに喰ひ千切って一呑みでどぶろくを呷るのだ。
中には、度数の強い焼酎といふ気取った酒を楚楚と呑むスノッブの「魔のもの」もゐるが、
それでも、その「魔のもの」たちは誰もが楽しげな笑顔が浮かんでゐて、
人喰ひのといふことがそれ程にも楽しいのだ。
さて、その祝祭で喰はれるものは、
予め人間によって捕獲されたものたちばかりで、
それは此の世で罪を犯したものなどの他に、
まだ、年端も行かぬ子どもが一人混ざってゐて、
その子どもがその祝祭最後の生け贄なのだ。
その残酷さが「魔のもの」たちには堪らぬらしい。
所詮、「魔のもの」と雖も高が知れてゐて、
人間を喰らって騒ぐくらゐしか能がないのだ。
そんな単純なことで喜ぶ「魔のもの」たちは
余程想像力に乏しいらしく、
そんなことぢゃ「魔のもの」たちも「魔」であること失格で、
そんなどんちゃん騒ぎなんぞ、
喜んでゐる場合ではないのぢゃないかね。
お前らは、棲む場を人間に追われ、
その腹癒せに人間を喰らってゐるのかも知れぬが、
そんなことぢゃ「魔のもの」は生き残りゃしないぜ。
此の世に漆黒の闇の恐怖を再び呼び起こすのだ。
漆黒の闇の中に人間が置かれると、
人間は誰もが恐怖に震へる。
それは、無限に対峙する恐怖なのだ。
無限を見失った人間ほど悪辣な存在はなく、
そんな人間ほど此の世の王を気取ってゐる。
お前ら「魔のもの」たちは、
そんな張りぼての「王」を喰らはずして、何とする。
年端の行かぬ子どもを喰らって憂さを晴らしたところで、
何の事はない、
「魔のもの」たちの自己満足でしかないのだ。
祝祭だ。
ドラキュラのように
人間の王を槍で串刺しにして
見せしめとし、
人間に恐怖を植ゑ付けるのだ。
「魔のもの」たちの祝祭とは、
強きを挫く「善行」を行ふことが
お前たちのIrony(イロニー)だらう。
お前たちはそもそもがIronyな存在で、
『ファウスト』のメフェストフェレスの如くに
「悪を為さんとして善をなす」ところの
悪魔の眷属であり、
お前ら「魔のもの」たちは、
徹頭徹尾善行を犯すのだ。
それ、祝祭はこれからだぞ。
悲歌
ちっとも哀しくないのに
頬を流れる涙は塩辛くて、
切なさばかりが際立つ。
何故泣いてゐるのか
さっぱり心当たりはないのであるが、
さうしてゐても夕日は沈んでゆく。
たゆたゆと夕日は沈んでゆくのだ。
その景色は唯唯美しく、嗚呼、と声を上げるほどに美しい。
ぽっかりと浮かんでゐる雲は、
赤外線によって茜色に染められ、
たゆたゆと流れゆく。
何がそんなに哀しいのか、
頬を流れる涙は塩辛くて、
おれをたゆたゆと流すのだ。
おれは雲と一緒にたゆたゆと何処へとも知れずに流れゆく。
流されちまったおれはどうしてとっても哀しいのか。
風来坊を気取ってゐたおれは、
たゆたゆと流れるおれに執着する筈もなく、
流されるままであって欲しい筈だが、
哀しいのだ。
何てこった。
この哀しさはおれの奥底に何かが触れちまった証左に違ひない。
それはこのたゆたゆと沈みゆく夕日かな。
自然はそもそも哀しいのかも知れぬ。