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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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夢幻空花(むげんくうげ)

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 闇尾超の死を知ってから数週間過ぎたある日のこと、闇尾超の二歳年下の弟から私宛に数冊の大学Note(ノート)が郵便で送られてきた。その大学Noteは闇尾超が生前、某精神病院に入院中に書き綴ったものであった。それは闇尾超が死ぬ前日まで書かれた日記風の思索の跡で、何故、それが私に送られることになったのか初めは解らなかったが、その大学Noteには闇尾超の弟の手紙が添へられてゐて、其処には闇尾超が生前、闇尾超が死んだならば、この手元に今ある数冊の大学Noteを私に送るやうに遺言したとのことである。何故私なのかといふと、闇尾超曰く、この大学Noteに書かれてゐる内容を理解できるのは此の世で私しかゐないとのことであった。
 私と闇尾超の関係は幼馴染みで、所謂、竹馬の友であった。高校までは闇尾超とは同級生として私は過ごし、大学は別であった。学校が別になると闇尾超と私は自然と疎遠になってしまひ、音信不通であったが、私も闇尾超も何を考へてゐるのかは以心伝心の如くお互ひお見通しであったと思ふ。つまり、お互ひ会ふことはなかったが、それは、お互ひが今何に悩んでゐて、また、何を考へてゐるのかが手に取るやうに解ってゐたからである。それは闇尾超が書き残した大学Noteを読めば明らかであった。

――己に対して猜疑心が芽生えるともうそれは歯止めが利かぬ。それはそもそも私なんぞの存在自体が脆弱であり、己に対する負の連鎖は止めどなく続き、己を断崖絶壁まで追ひ詰めぬと私の気が済まぬのだ。さうして追ひ詰められた私が硫黄島のBanzai cliffでの出来事を再現するかのやうに『万歳』と叫びながら断崖絶壁から飛び降りるだ。そして、私は宙にゐる数秒間に吾が全人生が走馬灯の如く甦る中、恍惚状態で絶命する。不幸なことにその目撃者は、また、私自身なのだ。

などという言葉が書き連ねてあるその大学Noteをペラペラ捲っただけでも闇尾超の何故だか私の心奥へと一直線に襲ひかかり、私を懐柔するやうに私の首根っこを捕まへては、
――ぐきっ。
と、私の首を圧し折るその言葉の持つ圧力は相当なもので、弾丸が鉄板を打ち抜くやうに闇尾超の言葉は私を撃ち抜く。つまり、死んだものの勝ちなのだ。始めから勝負は決してゐるのだ。そんなことは百も承知で私は闇尾超から送られた大学Noteを読み始めるのであった。それは瞠目せずにはをれぬ言葉が鏤められてゐて、やはり、闇尾超は己を己の手で断罪したのは間違ひないのである。

摂動する私

――絶えず摂動し、ずれ行く私を指さして迷はずに『阿呆』と罵るべきである。その罵詈雑言にこそ私の本質の尻尾が隠されてゐる。自己肯定を賛美するものの浅薄さが目も当てられぬのは、自己がもう死に体として固着し、自己肯定する私は既に死臭を発する半分白骨化した自己を保持してゐるに過ぎぬのだ。自己肯定したならば、もうそいつは死んだも同然で、ほろほろと自己を慰めながら、奇妙な自己満足に堕す倒錯の中で、悦に入ったそのものは、もう克己の機会を自ら捨て去り、摂動して已まぬ私に対して目隠して、瞼裡に現れる自己の願望が具現化した表象群に囲まれて、夢現に化かされてゐるだけなのである。つまり、自己肯定とは現実を凝視することを止めた心地よい夢の中で生きることを善しとしてしまった所謂悪霊の為せる業なのである。

 私は内部の私を摑まへることは不可能だと考へてゐる。それは物理学の量子力学の中の重要な原理であるハイゼンベルクの不確定性原理が内部の私といふものにも当て嵌まり、私を把捉しやうとするならば、必ず私はその私から逃れ行き、その尻尾すら捕まへられないのは、内部の私といふ存在は元来さういふ存在であり、捉へやうとした瞬間に内部の私は確定できずに曖昧模糊としたままに何となく漠然と、
――これが私?
と、私を名指せぬままにぼんやりと私らしいものをして私と呼んでしまってゐるだけなのである。それこそ闇尾超が名付けた杳体の如くに杳としてその存在は曖昧模糊と把捉不可能なのだ。とはいへ、存在してゐることだけは解るのである。さうして居直った私は、
――私は。
と、言ひ切ってしまった以上、引っ込みがつかずにその私と名指したものをして何か確定した私を見出したかのやうに振る舞はないと跋が悪いのか、何度となく私は私自身に対して猜疑の目を向けつつも、徹頭徹尾、その曖昧模糊とした私を何か確定した私として偽装して解ったやうな気になってゐるとんだお調子者なのである。
 それでは、何故私に対してハイゼンベルクの不確定性原理なのかといふと、私は頭蓋内の漆黒の闇を五蘊場と呼んでゐるが、その五蘊場で私は私をパスカルの思索のやうな鋭きメスで五蘊場に棲む私を解剖しやうとし、現に解剖したところで、私は分身の術ではないが、メスを入れたところからすぐに分裂して見せて、メスを持つ私を嘲笑ふかのやうにそれこそ無限に分裂し、その無限の私が、それぞれ独自の意識を持ち、ペチャクチャと五蘊場中で議論を始めるのだ。それは現代音楽の合唱曲を聴いてゐるやうな錯覚に陥り、無数の声が重なると風音にも似た音ならざる音へと昇華して、ベートーヴェンの第九の合唱ではないが、何か途轍もなく高揚した熱気はひしひしと伝はってくるのである。つまり、私といふものはFractal(フラクタル)な存在といへ、それ故に五蘊場に棲む私は無限に分裂可能な存在なのであり、然し乍ら、さういった傍から私が、
――ぶはっはっはっはっ。
と、哄笑し、葉隠れの術ではないが、一瞬にして煙と化したかと思った途端に全ての私が姿を消し、
――ぶはっはっはっはっはっ。
といふ私を侮蔑する嗤ひ声のみが五蘊場に鳴り響くのである。ところが、五蘊場の何処かにか私といふ曖昧模糊とした、かういふと誤解を招くかも知れぬが、私といふ名の集合体が潜んでゐる筈で私はその変幻自在にして神出鬼没な私を《異形の吾》と名付けて幾分、吾ながらいい手捌きで五蘊場に棲む私を処したと私はほくそ笑むのであるが、その傍から異形の吾は、
――ふっ。