若い時は苦労をしておいた方が良いというのは、あくまでも恵まれている人間の戯言に過ぎない。それは宛ら今までの成長の正解を辿る道なのであって、自ら正解を手繰り寄せる必要のある貧に餓える我々とは根本が違うのだ。片やそれまでの道は創られてあり、片や我々はその道に生える雑草すら枯れ果てている。道はひび割れ、一歩踏み外せば奈落へと連れていかれる。その下にいる者は助けを求めるあまり、人が転落することを望む。我々は気が気でいられない。恐ろしくて堪らない、そして悲しくてやりきれない。下にいる者の気持ちが分からないはずがないからだ。彼らは知らないのだ、我々がどんな思いの涙を隠してこの道を突き進んでいるのかを。光ある道を突き進み、その先にある希望をただ掴むだけとは違う、絶望と悲哀と苦痛を自覚しながら、それらをあえて圧し殺して、地獄から踏み外すことの許されぬ道を一歩また一歩と踏みしめてきたのだ。苦労とは許されておらぬ。希望に突き進む道こそ許されているのである。人のままでいられるのは、その下に何億もの苦しむ人がいるからである。だが、だからこそ、其方らの世界は光と愛とに満ち溢れているはずなのである。そこは正に選ばれし者しか許されぬ世界なのである。誰からも懇願される世界。我々はそこに、我々に燃え盛る嫉妬の炎を自覚しながらも、同時に赤子を見るように愛と安堵を覚えるのである。