怖い遊び(続・おしゃべりさんのひとり言169)
怖い遊び
とあるアニメを見ていたら・・・
施設に保護された少年がいました。
その子は戦争の恐怖で言葉を発せなくなっていました。
でもそのトラウマを回帰させるような出来事が起こります。
すると男の子は子守歌のような歌を唸るように口にしたのです。
その歌は体験者からすれば不安に満ちた歌詞なのでしょう。
でも他の子どもたちには滑稽に聞こえ、皆で合唱しながら踊りだすシーンがありました。
そのトラウマの少年は、無邪気にはしゃぐ友達の傍らで、只々恐怖に震えていました。
それで僕も似たような経験を思い出しました。
僕が子供の頃、まだ幼児の頃。近所に男の子が少なくて、お隣やお向かいのお姉ちゃんたちと遊ぶしかなかった頃。
『かごめかごめ』をしたのをよく思い出します。多分数回くらいだったと思うんですが、印象強く記憶に刻まれています。
あれがまるで儀式のようで、とても怖かったんです。
その歌詞は、
~かごめかごめ
籠の中の鳥は いついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀が滑った。
後ろの正面だあれ?~
僕がしゃがんで両手で目を覆い、お姉ちゃんたちが手を繋いで円陣を組んで、僕のまわりを歌いながら回ります。歌の最後で円陣が停止して、僕が真後ろにいる子を当てるだけです。
出身地によっては、少し歌詞が違うって言う方もおられますが、大体同じでしょう。
なぜかこの歌が怖いんですよ。
歌詞に意味不明な部分があるでしょ。
夜明けの晩って何? それに鶴と亀が滑ったら面白く感じるんなら解るけど(不吉な何かが起こって朝が来ないんじゃないか?)とか想像してました。
(暗闇に憑りつかれる)そんな気がして、子供心にこの遊びは怖かったんです。
しかも歌い方が“短調”だし、めっちゃ暗いでしょ。
ところが、似たようなもっと怖い遊びもありました。それは、
~通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ~
この歌もやはり、メロディは“短調”ですよね。
行きはヨイヨイ帰りはコワイ 意味を考察すると、「7歳の子を天神様に七五三参りに連れて行って、もう神様の加護を受けない年になったから気を付けなさいよ」ってことらしい。
でもそんなこと、子供の僕に解るはずもなく、遊びに参加させられていました。
お姉ちゃん二人が向かい合って両手をつないで手を上げ下げする。
そこをほかの子供が歌に合わせて通り抜ける。
歌が終わった時、その腕が下ろされて、誰かが捕まる。という遊びです。
「こわいながらも通りゃんせ(怖くても通ってください)」って怖いわ!
それに(捕まった子は呪われる)とかいう噂があって、僕はこれがまた怖かったんです。
絶対に捕まりたくないから速足で駆け抜けると、忽ちルール違反を指摘され、通るのを躊躇すると、逆に迎えに来られたように捕まってしまいます。
お姉ちゃんたちはわざと僕を捕まえようとたくらんでいるので、呪われるのが嫌な僕は、その遊びから逃げ出した思い出があります。
どちらも単純な童謡でのお遊戯のようなものですが、これほどにまで恐怖感を覚えていたのは、歌の持つ雰囲気がその臨場感を生んでいたんだろうな。
そのシーンを思い出すと、なぜか夕暮れに遊んでいたイメージが思い起こされてきます。
映画やドラマの(BGMの効果って高いんだろうな)って思うよ。
そもそも子供の遊びの歌に、わざわざ“短調”を使って恐怖を煽るやり方が悪い!
いったい誰がこんなこと思いついたんだか?
歌の持つパワーには、人を元気にしたり、やる気にしたり、眠気を覚ましたり。
プラスの効果もあるのに、こんなマイナスの使い方しなくてもいいのにね。(しかも子供相手に)
かごめも通りゃんせも、冒頭のアニメの例のように、(裏には語り継がれていない恐怖に満ちたエピソードがあったのかもしれない)と思うと、子供の遊びにしちゃ怖いなって思うんです。
つづく
作品名:怖い遊び(続・おしゃべりさんのひとり言169) 作家名:亨利(ヘンリー)