M&A 買収された(続・おしゃべりさんのひとり言152)
でも現社長から出た提案は、「杉本を引き抜こう」というものでした。
その杉本さんは社長の元部下で、僕が台湾出張中に常にお世話になっていた現地法人の管理職でした。台湾人の奥様がいて、台湾にお住まいだったはず。
「杉本さんを日本に呼ぶんですか?」
「日本におるんや」
「僕はもう10年くらい会ってませんよ」
「今はA社の管理職をしとるんやけど、続かんみたいなこと言っとる」
「IT大手じゃないですか? じゃ、社長就任の話は」
「もうしてる。興味あるみたいやで」
僕も杉本さんなら大歓迎です。3歳年下ですが、優秀なのはよく解っていましたし、僕ともいい仕事関係を続けてきた相手です。早速、僕の方から連絡しました。その時はもう、当社に来るつもりだったようですが、僕の電話で心を決めてくれました。
一旦、杉本さんには僕が兼任していた新規開拓事業部の部長職を宛がい、入社してもらいました。それから約2年間、営業活動をしながら、社内監査や業務改善を行い、時期を待ちました。社員たちはいきなり部長待遇で入社して来た見知らぬ人材に不信感を露わにしていましたが、僕が「彼は信頼のおける旧知の協力者だ」と説明を繰り返しました。
あれからM&Aについては、杉本部長も交えて何社とも交渉を行いました。業種、業界は関係ありません。グループ会社に入れてもらって、我々独自のビジネスを継続させてもらえるのであれば。
それとM&Aの意図は、更なる資金的な地盤固めです。相手は資金力がある企業でないと意味がありません。でもこんな中小企業と対等に交渉に応じてくれる大企業など、なかなかありませんよね。
製造業やサービス業、派遣会社まで、ありとあらゆる企業と交渉を重ねていきました。でもどこも上から目線。僕は気に入りません。でも社長は日頃の不安から、段々と目標を下げて「ここでもいいか」と言い出す始末。
僕は、そんな妥協は絶対に許しません! なんて、強気でいられた理由は、前述のボスに、このM&Aの進捗を常に報告していて、アドバイスをもらっていたからです。また、そんなビジネスの付き合いで、仲介をしてくれる専門家がいて、こちらの要望に合った企業とのマッチングに協力もしてもらっていました。
でもそんな中、ボスが突然がんで亡くなったんです。
僕はかなり不安になりました。何故ならボスがいたおかげで・・・そうなんです。そのアドバイスのおかげで、僕は疑うことなく言われた通りに行動して、結果を出して来ていたからです。
つまり、僕自身がボスに従順な人間だった訳です。そのおかげでいくつもの成功を収めることが出来ていたんですから。
今はもう、僕自身が強い意志を持って行動するしかないと、腹をくくりました。
そしてついに今年の3月、当社の条件をほぼ100%呑んでくれる企業が見付かったのです。そこは東証プライムに上場している、年商1,000億円以上の大企業でした。
このあまりの成果とその急な発表で、社内はザワつました。
なぜ、うちみたいな中小企業をその大企業が買い取ったのかと、取引先も皆、今後の心配があったでしょうし、問い合わせが殺到しました。
でもご心配なく、今までと体制を何も変えない条件で、100%子会社化され買収して貰えたんです。
その企業が親会社となるに当たって、当社に下した評価とは、完全無借金経営で、有給休暇や特別休暇の取得率の高さが証明するように、収益が安定していること。
5年で売り上げと社員数を倍にして、その社員教育がうまく行ってるという事実でした。
僕は確かに社員教育に力を入れてきました。その理由は、僕の事業部がすごく田舎の町にあるという事です。優秀な専門知識を持った人材が、都会からわざわざ通勤してくれないような山奥に工場がありますし、周辺地域から車で通勤できる人材しか採用できなかったから、教育体制だけは、すごく力を入れて構築していたことに気付いてくれたという訳です。
そしてその親会社は当社の取り引き先にも関係があって、僕たちの技術力の高さを噂で聞いていて、僕も含め、その技術者たちが関連会社へのトレーニング資格を有していることも決め手となりました。
僕の事業部で一番大きな売り上げを占める事業は、半導体製造装置の製造です。どんな仕事なのか意味わかります?
PCやスマホ、車や電化製品で使用される“集積回路(半導体チップ)”の製造に欠かせない装置の製造を請け負っていて、それは世界シェア約60%の装置なのです。すでに全世界に1000台以上の出荷実績があります。そのほとんどを僕らが手掛けてきました。
僕も若い時は世界中の半導体工場を回り、キャリアを積みました。そこはまるで宇宙ステーションのような最先端施設でした。そんな仕事に魅了され、ボスが教えてくれていた個人での成功ではなく、世界規模ビジネスでの成功を夢見て、この仕事に打ち込むようになった訳ですが、まさか世界最先端技術を、僕らがこんな山奥の工場で取り扱ってるなんて、地元の人もほとんど知らないと思います。
この親会社は半導体装置の部品供給を行っている子会社を持っていましたので、将来その企業と合弁で、半導体装置の製造に本格参入するために、当社を利用しようという計画なのです。
それとは別に様々な業務も僕は手掛けています。それはそれで勝手に継続してもいいそうです。
4月には親会社から役員が2名、当社に来られました。そして杉本さんは新社長に就任され、元社長は会長に落ち着きました。
社員からは僕が「次期社長になるべきだ」という声が上がりました。これでは派閥が割れてしまいそうですが心配は要りません。何故なら僕自身が杉本社長派だからです。
そして売上も5年計画の目標通りに達成し、ついに社員数も100人を超えました。
この成果の殆どは「僕が積み上げてきた業績によるものである」と、胸を張って言えます。
でもまさか、これ程の大企業に買収してもらえるなんて、予想もしない事でした。大成功です。
(じゃ、僕の処遇はどうなるのかな?)こう思っていました。
その反面、M&Aが決定してからは、僕は売り上げに対するプレッシャーが今まで以上になってしまい。各業績から目が離せませんでしたけど。
そこへ来て、7月1日に新会社の体制が発表されました。
9月から社名は変更せず、新たに『株式会社』になる事。
僕はその会社の『スーパーバイザー』に就任することが決まりました。
意図せずも、また僕に新たな道が開けました。
社員は、一様に「スーパーバイザーって何?」って聞いてきます。
実は僕も何か解りません。
つづく
作品名:M&A 買収された(続・おしゃべりさんのひとり言152) 作家名:亨利(ヘンリー)