黒煙
「ぼくはやってません! 本当です! 許してください! 誰か助けて!」
通り過ぎる生徒たちは無視し、眉をひそめ、あるいは嘲笑を浮かべて去っていった。
「ああ、また始まった・・・・・・」
なんとか囲みを逃げ出して近くの民家に駆けこみドアに鍵をかけた。
「いひひ。癖だからしょうがないじゃないか。好きで火を付けてるわけじゃねえ」
次から次へと人家の物置や、田んぼの稲わらに火を付ける。ウソをついて周りの人を困らせ、腹が減ったら万引きだ。
シュート! ゴール!
ぼくは寝たきり老人の頭を思い切り蹴飛ばして土足で家の中を駆け抜ける。裏口から出てブロック塀を乗り越えて逃げた。
山の上からはお寺の境内が良く見えた。そのお寺の鐘をめがけて石を投げた。たまに当たるとカーンという音がして気持ちよかった。狙いがはずれた石が家の窓ガラスを割り、ガチャンと音がするのも面白かった。げらげら笑いながら次々に石を投げた。
ある日、急坂の上に迷彩服を着て頭に日の丸のハチマキを巻いた少年が現れた。いつも軍歌を唄っている変な奴だが金持ちの息子で頭も体格も良くて、一目置かれていた。
大日本帝国陸軍の名誉にかけて突撃を敢行する。突撃!
彼は手下どもを従えて腰のあたりでコウモリ傘を水平に構え、喚きながら、坂を駆け下りてきた。
天皇陛下万歳! 殺せ! 殺せ!
ぼくは逃げようとして崖から転げ落ち、松の木に頭をぶつけた。血がドバドバ出た。立ち上がろうと地面に手を付くと腕に激痛が走った。骨が折れているのかもしれない。
自宅のアパートに帰り、深夜に帰宅した母ちゃんに痛い痛い、と訴えると、母ちゃんは「困ったわねえ、うちはお金がないから病院には行けないよ」と他人事のようにため息をついた。父ちゃんはぼくが赤ん坊のころ、どこかに行ってしまってもういない。
翌日、ぼくは痛む腕をかかえて『大日本帝国陸軍』の家を探した。二階建ての大きな家だった。見つからないように用心して裏口にまわり、灯油をまいて火を付けた。
数日後、小学校に警察官が二人来て取り調べが始まった。大声で泣きまねをして、いろんなウソをついたが、指紋を取られて放火がばれた。
児童相談所は母ちゃんを呼び出して訓戒を行い、再発防止のための自書誓約書の提出を求めた。
「どうしてこんなことになっちゃったのかねえ・・・・・・」
いつまでもめそめそと泣いている母ちゃんのそばで、ぼくはテレビの天才バカボンを見ながら大声で笑い転げていた。
母ちゃんはパートが終わるとパチンコに行き、深夜にならないと帰ってこなかった。家の中は汚れた衣類や蜜柑の皮が山積になっていた。母ちゃんはメシを作らない。目ヤニだらけの顔を背けて菓子パンでも食べてきて頂戴、と百円玉をこたつの上に放り投げた。児童福祉司による家庭の指導が始まったが、たまに来て『お話』をして帰っていくだけだった。
小学校にはもう行かないことにした。授業なんかわからないからどうでもいい。アパートの前には棒を持った子供たちがぼくを待ち伏せしていた。窓から空きビンを投げてやった。子供たちも石を投げ返して窓ガラスが次々に割れた。夜になってから裏山に行って火を付けた。消防車が駆けつけ、ホースで水をかけるのが見えた。でも火は強風にあおられて大きくなっていき、たくさんの家が焼けた。
呆然と立ち尽くす人たちに向かってぼくは叫んだ。
ざまあみろ! チョー気持ちいい!
ついにぼくは少年鑑別所に入れられた。十六歳未満だから少年院には行かなかった。矯正と称して農作業や掃除などいろいろな共同作業をやらされた。
このぼくが集団生活に馴染めるわけがない。筋金入りの不良少年たちが毎日両腕を押さえてぼくの腹を殴った。顔が腫れると職員にばれるから腹を狙うのである。血の混じったゲロを吐いた。
鑑別所の指導員は、お腹すいていないか? 慣れない生活でつらくないか? と毎日、微笑みながら声をかけてくれた。他人から優しくされるのは生まれて初めての経験だった。他人の気持ちを考えて行動するとなんでもうまく行くよ、と何度も言われた。ぼくは自分やってきたことの間違いに気が付いて涙がでた。半年後、もうにどとほうかはしません、と平仮名で反省文を書いて出所した。
月曜日の午後、母ちゃんはやっぱり迎えに来なかったけど、ぼくは解放感に満ち溢れて気持ち良く鼻歌を歌いながら堤防沿いの遊歩道を歩いていた。黄色いタンポポ、白いススキの穂、そして刈り終えた雑草の甘い匂い。
今までなぜ気が付かなかったんだろう。幸せは意外と近くにあったのかもしれない。ぼくは上機嫌でホームレスのテントに火を付けた。澄み切った秋空に一本の太い黒煙が登っていった。
癖だからしょうがない! チョー気持ちいい!!