熱戦
「代打。神楽坂に代わって、星井」
そんな言葉が聞こえ、見知らぬ選手がバッターボックスに立つ。
「…………」
初めて見る選手に、上野君は思わずうなだれてしまう。情報が全くない。逆転サヨナラもあるこの場面で、何も知らない選手は不気味過ぎる。思わず頭を抱えこみたくなるが、投げなければ何も始まらない。
上野君は仕方なく、様子見かつ暴投を避けるために高めの球を1球目として、謎のバッターに投球した。
「コツン」
もうそれをするのが自然の摂理であるかのように、バッター星井君はバントでもってそのボールを受け、サード方向に転がした。3者連続のバント攻勢。警戒はもちろんしていたのだが、情報がないこのバッターの様子を見ようとしたのと、バントの連続でもうないんじゃないかという思いでスタートが遅れてしまう。どうにか球を拾って、捕手の登坂君にトスをするが、それもなかなかおぼつかない。どうにか登坂君に球が届いたものの、3塁ランナー、俊足の(優)君はもうホームにすべり込んでいた。
キャッチャー登坂君はこの1点は想定内だとばかりに、せめてツーアウトにしようと即座にファーストへ投げる。だが、この選手もかなりの俊足だ。みるみるうちに1塁へと到達してしまう。彼がベースを踏むと同時にボールが1塁手、赤井君のグラブに収まったが、審判はセーフと判定した。
6−5。
バントと盗塁だけで点を取られ、1点差に詰め寄られる。しかもワンナウトランナー1、2塁。ピンチは脱しきれていない。
バッターは先頭に返って1番の寺井君。もうすでに上野君の心理を手玉に取るかのようにバントの構えをしている。ワンナウト1、2塁からのバントの構え……。送ってくる可能性もあるし、ダブルスチールの可能性もある。いや、またバスターをやられる可能性も……。
上野君は、相手がどうしてくるかを考え過ぎて、頭がパンクしそうになってしまっていた。どうやら体よりも先に、考え過ぎた頭が悲鳴を上げてしまったらしい。
そんな上野君の危うさを悟った、捕手でありキャプテンの登坂君が、内野陣を全員マウンドに集めて話す時間を取った。上野君のために少しでも時間を稼ごうという意図と、状況次第ではリリーフが投げることも視野にも入れて。
話し合いの結果、落ち着きを取り戻した上野君は、投げながら考えるにはもっと体力が必要なことがわかった、と語りつつ、これを教訓とするためにこの試合は投げきらせてくれ、と集まった5人に要望した。
能信の内野手たちは、この期に及んでも考えることをやめようとしない上野君に苦笑したが、それでも彼を信じることにし、うまく働かない頭で思考を続けるエースにこの試合を託すことにした。
そしてその数十秒後、バッターの寺井君はセンターへの逆転サヨナラツーベースヒットを放つことになる。
代打として出場し見事なセーフティスクイズを決めた星井君は、交代した神楽坂君と同学年の5年生だ。またこの二人は、非常に仲が良いことでも知られている。そんな星井君も神楽坂君と同様、日我好の未来を託され将来が期待されている選手だ。
そんな星井君は、神楽坂君がいじめられていることにひどく同情していた。時には、先輩たちのむちゃくちゃな指示から神楽坂君をかばったり、ボール拾いやトンボ掛けを一緒に手伝ったり、コーチや監督にいじめている証拠を提出したり……。仲が良いというのももちろんあるだろうが、それ以上に正義感や優しい心を持ち合わせている選手なのだ。
だからこそ今日の試合、神楽坂君がスタメンに選ばれた時、彼は自分自身のことのようにそれを喜んでいた。そんな清く正しい心を持つ男が、試合中、神楽坂君を含むレギュラー陣を声を枯らすほど熱心に応援していたのは至極当然のことだろう。
監督はそんな星井君をできれば試合に出してやりたいと思っていた。もしものとき━━代打や代走、守備固めといろいろな状況が考えられるが、6年生と言うだけでベンチに入っている、ろくに練習せず信用もできない者よりも、誠実でひたむきな彼のほうがよっぽど信頼できると思っていたから。
それに、神楽坂がいじめにまだ苦しんでいるのは把握している。いじめを行っていたものを何人かを追い出すことはできたが、まだ影でこそこそやっている者がいるのはわかっている。この状況はチームの監督として非常に情けなく、恥ずかしいことだ。だが、いじめには何があっても屈するわけには行かない。ここで、いじめている可能性の高い6年を試合に出せば、彼らを増長させてしまう。他人の足を引っ張って試合に出ようとするものには出番は与えない。それなら、戦力的には多少落ちても、星井のような光を放つ新星をどんどん起用していきたい。そしてこれを機に、今度こそチームからいじめをなくすために加害者を一網打尽にせねばならぬ。
星井君の代打起用は、日我好の監督にとって頭痛の種であったいじめを根絶するための大いなる決意を示す一手であり、星井君はその起用にセーフティースクイズという形で見事に答えたのだった。
ゲームセット。6-7。最終回、土壇場でのサヨナラで、試合は日我好ブラッドサックスが勝利した。