武漢雑記
チェックインを済ませ市中散策のためにすぐ外に出る。この街を歩いていると日本の戦後20年ごろから現在までの生活状態がそのまま同居しているように感じる。市中には何でもある、あらゆることを仕事にしている。仕事というより生活の糧を得るために貪欲に働いているようだ。
いろいろな修理屋。荷の担ぎ屋、人力車やエンタク、露天でちょっとしたものを売る人々、市場(注)へ入ると、それこそ農産物、養殖魚、畜産物(肉・生きた動物)など何でもある。
注)市中散策では地図を頼りにまず駅舎へ向かう。左岸の鉄道ターミナルは漢口駅でホテルからも近い。その漢口駅の傍に「華南海鮮卸売市場」がある。私が入った市場はそこではなかったのか。残念ながら旅行記には市場の名前はメモっていない。しかし散策ルートからしてそこに違いないと今では確信している。海鮮市場と名を打っているが何でも売っているのは今も変わっていないようだ(武漢は内陸の都市で、海鮮とは長江の産物を指すのであろう)。
23年後に新型コロナウイルスが発生し世界がパンデミックに陥ろうとは思いもせず只々珍しい光景を見ている姿が目に浮かぶ。ところで華南海鮮卸売市場がコロナウイルスの発生源という説は今のところ未確定である。(現時点では武漢にあるウイルス研究所が発生源と推測されている)そういえば当時も市場ではコウモリを見なかったような気がする。
また現代的なものでは車、TV、携帯といったものまで、ミニも流行っている。紅衛兵の時代の軍服から皮のコートまで服装も様々。50年という時代の生活様式が一緒になって混在している。しかもそんなことは誰も気にしない、自分は自分という考えのもと誰かのまねをしたがる様子は感じられない。
中国民族は少数民族を含め多種族に及ぶが90%は漢民族である。地方によって性格や体格が異なるが、ここ武漢では体格は日本人とそう変わらない。日本の若者よりも身長が低いかもしれない。首回り39cmのカッターシャツを着てそう思った。袖の長さが日本製と比べてやや短いからだ。(日本製のシャツは38㎝で袖の長さがぴったり合う)
時間があったので有名な観光名所の黄鶴楼や博物館へも行った。しかし今の武漢を知るには街の生活風景を見たほうがはるかに参考になる。古本屋もあった、まさしく古本でぼろぼろに近い。新書店では一冊500元もする厚手の書籍もあった。本は一般向けは安いが特殊な本はやはり高い、高額なのでとても手が出ないであろう。
日も暮れて建物のライトが点灯し、東京タワーのような形を浮き上がらせた建物の正面に立つ。省政府の建物である。入り口にはサーチライトの灯りが侵入するものを照らす。門兵が二人、台の上に立って直立姿勢で監視している。(今思えばコロナ流出の件で当時から監視が徹底されていた節がある)暗くなる前に商店で買い物をしてホテルに戻る。
ホテルの部屋の調度品はかなり古く、なかなか良いなと思っていたが、バスのお湯が出ない。毎日お風呂に入ることもないので、あえて申し出ないことにした。ところでホテルの隣に温泉があるようだ。ソープランドのようなものかもしれない。夜間営業するためのネオンサインがケバケバしい店である。風呂に入りたければこの施設を利用せよということか。
暖房も夜はダメらしい。入室したときはよく効いていたが、電源を切られたのか、21時以降は調子が悪くなってきた。寝る前にホテルのフロントで兌換する。円のレートが少し下がり、上海市のレベルに戻った。商店で買ってきたビールとつまみを食べながら、明日の予定を考える、明日は南京市へ向かう。
エピローグ
中国旅行のいち中継点に過ぎなかった武漢が23年後になって新型コロナの発生地として注目されるとは夢にも思わず市中を物珍しく見物したが、しばらくの間発生源と言われた華南海鮮卸売市場に立ち寄ったことが記憶の中で蘇ってきた。この経験を伝えようと強く心をつ揺さぶられたことがこの原稿を起こす動機となったのできある。
作品名:武漢雑記 作家名:田 ゆう(松本久司)