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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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小説 祇園精舎の鐘の声 五

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倉井大輔は梵鐘につられるやうに川向かうの城址の土塁のさらに向かうに寺が点在している門前町へと歩を向けた。それは寺の墓地に眠ってゐる死者どもが倉井大輔の魂を擽(くすぐ)ったかのやうに倉井大輔にさうさせたとしか思えぬ行為であった。さうでなければ、倉井大輔
が城址の土塁を越えて門前町まで逍遥する筈はなく、倉井大輔にとってその意思を動かすのは此の世で圧倒的多数を占める死者の誘ひのみであった。
市の史跡となっている城址の土塁は鬱蒼とした雑木林に包まれ、倉井大輔は月夜の夜にその雑木林を彷徨するのが好きであったが、陽がどっぷりと暮れた今、その土塁の雑木林は濃い闇を纏ひ、倉井大輔を誘ふのであった。闇の誘惑には抗へない倉井大輔は、その性格に趨暗性を持ち合はせてゐたのである。倉井大輔の内面と強く共振する闇。闇は頭蓋内の闇と地続きとなり、やがて倉井大輔は闇の中を歩くことが、何やら頭蓋内を彷徨ひ歩いてゐる錯覚に襲はれ、濃い闇を纏ふもの皆が今にも何か別の何かに変貌するのではないかと思ふと、何やら倉井大輔の心はざわつくのであった。それは昼間の間はぢっと己であることに堪へてゐたものが闇を纏ふと昼間の我慢が爆発し、ものの欲望のままにその姿を変へるのではないかと倉井大輔は心の何処かで期待してゐたのは確かであったが、闇を見ると声にならぬものの囁き声が聞こえるやうな気がして倉井大輔の心は高揚するのである。それは深海生物が闇の中で己の欲望、つまり、「生きる」といふ欲望が結晶したGrotesqueな姿は、神神しいほどに蠱惑的であると思ふ倉井大輔にとって、闇は欲望を呑み込むに十分な資格がある何かであった。
 しかし、倉井大輔には、どうしても闇とBlack holeは全く結び付かぬものなのである。巷間では安直に闇=Black holeといふ思考停止した比喩が罷り通ることに対して苦苦しく思ひ、その比喩は全く間違ってゐると巷間の安易な思考に反目してゐたのであった。倉井大輔はBlack holeはシュヴァルツシルトの地平線以外は光に満ち溢れるものとしか思へぬのである。閉じ込められた光でBlack hole内部は眩い光で満ち溢れてゐなければ道理が立たぬと倉井大輔は真面目に考へてゐた。だから、倉井大輔にとって闇=Black holeとはならず、Black holeは闇の対極にあるものに違ひないと、つまり、Black holeはDarkの象徴ではなく光の、つまり、Light holeと名付けられるのが本来の姿を現してゐると考へてゐた。倉井大輔における闇とBlack holeの齟齬は常人には気が触れたものとしか思へぬ思考に違ひないが、闇にBlack holeを重ねる愚行は闇に失礼だと思はずにはゐられなかったのである。倉井大輔にとって闇は自由の象徴であり、欲望が現はれるものなのであった。百鬼夜行や疑心暗鬼は闇の為せるものであったが、それは自由に対する存在の怯えでしかないと倉井大輔は考へてゐた。