狂心
特急電車の巻き上げる風がまた、僕の前髪と鼻先を掠めていった。
ステンレス製の車体が放つ冷酷無比な光が消え失せてしまうと、屋根のないホームの景色は、再び真っ黒に塗りつぶされた。漆黒。そう僕は思ったが、或いは、マスクの下ではっきりと口ずさんでいたかもしれない。空いている車両を求めて、屋根のないホームの方に歩いてきた中年のサラリーマンが、一瞬、僕の方を怪訝そうな表情で振り返ったからだ。僕は何でもないことのように、向かいにあるホームの頭上に浮かぶ夜空をぼんやり見上げる。月だ。そう思った時、再び先頭の方へ歩き出したサラリーマンが「やっぱりだ!」という風にこちらを振り返る。怪訝そうなのに、そのくせ日本では珍しいパンダでも目撃したような、その涙袋の大きな瞳には爛々とした光を湛えて。「何がだよ!」今度ははっきりと、自分でも分かるような声が僕の口から飛び出した。相手は怯えたように黄土色のコートの襟を立て、こちらに背を向けて去って行った。
マダダイジョウブ。マダダイジョウブ。各駅停車の到着を待つ間、屋根のないホームには、空いている車両を求めてヒトが次第に集まり始める。僕のつぶやきは(いや、心の声は)、ヒトが目の前を通る度に、間奏にクサイ台詞が挿入されるミュージックのようにいったん小さくなり、そのヒトが遠ざかるとまた大きくなった。
マダダイジョウブ。キット、ダイジョウブ。その綺麗ごとのような台詞が僕の頭の中に次々に浮かんできて、フィルターに溜まると下のカップに滴り落ちるコーヒーのように、僕の唇を媒介して次々に吐き出される。コノシッパイハ、ヒツヨウダッタンダ。ヒツヨウダッタンダ。ヒトは悲しみが強くなりすぎると、逆に何も感じなくなることがあると、誰かが言っていた気がする。それは、ヒトが自分の身を守るための防衛本能からくるものらしい。でも、悲しみとは、そもそも「ナニモカンジナイコト」なのではないか?僕はそう思った。壁に立てかけたまな板の表面を、水が滑り落ちていくように、その水はシンクに落ち、排水溝を伝いやがて闇の奥底へ流れ落ちていってしまうけれど。でも、僕はその水の冷たさを確かに感じていたのであって。その「ツメタイ!」という感触が、僕の中で無かったことになるわけではない。
目の前を通りかかったカップルが、振り向きざまに「きもっ」と呟いた気がしたが、或いは、それは僕ではなく彼らの知り合いに向かって言った陰口かもしれない。彼氏の腕を取りながら時々、こちらを薄ら笑いで振り返る若い女の姿を見ても、僕はもう、以前のような苛立ちを感じることは無くなっていた。やわい膜につつまれたような他人の幸せを、殻ごと握りつぶしてやりたいような衝動も、今の僕の中にはもう、無い。僕は以前より、ヒトに優しくなれたような気がする。自分が狂う代わりに、ヒトに優しくなれた気がする。
マダダイジョウブ。ボクハコウシテ、イキテイル。僕の中にはまだ、クサイ歌詞ばかり並んだ楽曲のような台詞が、バックの音楽なしでずっと垂れ流しになっている。「アイジョウ」とか「ユウキ」とか連呼する曲は、バックに音楽が無くなると何だか味気なくて、例えば仙人のような長いひげを生やした老人が、太い筆を使って習字の紙に書いた文字のように仰々しくて、古臭い言葉のように感じられた。
ボクハナゼ、マダイキテイルンダ?イキテイルンダ?それは僕がまだ、足元にある黄色い線のこちら側にいるからだ。僕は鈍い光を放つ革靴の先っぽで、でこぼこした黄色い帯の隅をそっと、なぞる。僕は何度も、その黄色い線を乗り越えようとしていた。しかし、ちょうどホームに滑り込んできた銀色の車体に邪魔をされて、中から勢いよく降りてきた客と肩がぶつかり舌打ちや、刺すような一瞥を食らい尻込みしていた。
各駅停車がホームに集まったヒトをさらって行ってしまうと、僕にまたチャンスが訪れた。けたたましい警笛を鳴らしながらステンレス製の車体が、向かいのホームに勢いよく滑り込んでくる。走り幅跳びの選手じゃあるまいし、間線を挟んで十メートルはある向こうの線路に飛び込んでいくわけにもいかない。警笛にびっくりした子供が、狂ったような声を上げて泣いている。その温かい光を放つ屋根付きのホームの方から聞こえてくる泣き声は、僕の代わりに苦しい胸の内を吐き出してくれているような気がした。その泣き声は、僕の両親や、姉弟や、親友によるどんな同情や慰めの言葉よりもずっと、僕の沈んだ心を軽くしてくれる気がした。
イキテイレバ、キットイイコトガアル。イイコトガアル。顔の右端の方から、暗く閉ざされていた視界の景色が明るくひらけていく。駅員の抑揚のない声が、特急電車の通過を告げている。しかし、僕の足先は、その忠告にあらがうように、足元の黄色い帯を踏み越えようとしている。きっとこのままなら僕は、明日になれば何事もなかったような顔をして会社に行き、この痛みを、この苦しみを無かったことにしてしまうだろう。イイコトアルヨ、キット。それが何だか悔しくて、僕は髭を生やした仙人の言葉や、抑揚のない駅員の声に抗うように、さらに靴先を漆黒の方へ踏み出す。
もう僕の視界の大半を、特急電車の眩いヘッドライトが照らし出す。これから僕は、例えばそこそこタイプの女性と付き合って結婚して、子供が生まれて、会社では上司におべっかを使ってまあそこそこの地位について、人生が落ち着いた頃になってようやく、今日のこの日の出来事を「ああ、そういえばあんなこともあったな」なんて、赤らんだ口の周りにはビールの泡をつけながら微笑ましく思い出すのだろうか。この痛みの記憶を「若き日のホロ苦い記憶」として、笑ってごまかしてしまうのだろうか?
そんなの許せない。右端の方から、僕の前髪が風圧によって跳ね上げられる。「生きていればきっと良いことがある」なんて、臭いミュージシャンの台詞のような言葉で、今日という日のことを誤魔化したくなんかない。生きていればいつか、きっと良いことがあるなんて、そんな、生ぬるい元の自分に戻るなんて、そんなの許せない。泣き叫んでいた子供の声が止み、視界一面が、眩い光に包み込まれる。そんなの、僕は許せなかった。強い風圧のせいか、それとも僕がジャンプをしたせいなのだろうか。僕の身体から重力が消える。今日という日のことを、僕は無かったことになんかしたくない。僕は、そう思う。ボクハ、ボクハ……。
ボクハ、イキノコレルダロウカ?
―完。