沖縄・那覇市(2)
◆那覇市 (2)
令和4年10月時点で、それまで私が全国47都道府県のうち唯一訪問していなかった沖縄県。
出掛ける頃には全国的にもコロナの影響が何となく落ち着いてきたイメージがあったので、11月中旬に沖縄県訪問を実行することにしました。これでついに47都道府県への訪問クリアです。
今回、元々は私一人で那覇市に1泊しての街歩きを予定していたのですが、妻と同伴という事になり、「あら、せっかく行くならもう少し他の場所にも回りましょう。」とは妻の弁。
まあ仕方ないか…、という事で一緒に出掛けることになりました。初めての沖縄県でしたが、日程を組む際に沖縄本島の地図は大まかに理解出来るくらい見つめて計画を立てました。
福岡空港から那覇空港までの距離は、東京までと同じくらい。飛行機で凡そ1時間半ほどのフライトです。
福岡空港を午後から出発の飛行機を予約。午後3時頃到着予定だったので、1日目は那覇市内の首里城公園(守礼門など)を少しはゆっくり見学出来るかなと思っていたところ、飛行機が40分以上も遅延しての出発で、那覇空港への到着が夕方4時頃になってしまいました。
到着後、那覇空港からモノレール(ゆいレール)に乗り、首里駅に着いたのが夕方の4時40分頃。駅から首里城公園まで近いとは言え、徒歩で10分ほどもかかり、間もなく夕暮れ時に差し掛かる時間で、いくら緯度が低い沖縄でも何となく夕景のイメージになってしまいました。
首里城公園の入口で案内看板を見ると、公園は思いのほか広く、こうなったら断片的に見るしかないと思い、守礼門近辺に限定しての見学だったのは仕方なかったですね。
1時間ほど散策して首里城公園を後にしました。その後は首里駅からゆいレールで後戻り。副都心の「おもろまち」のホテルへチェックインした時は既に薄暗い時間でした。
一休みするのもそこそこに、ホテル近くの海鮮がメインの食事処で夕食。リーズナブルな値段でもあり気持ち良く食事が出来たのは良かった。
ところで、11月も20日になろうとしていた時期でもあり、いくら沖縄とは言え、服装は合服で間に合うと思っていましたが、TVの天気予報では翌日から2日間とも好天で気温が上がり、何と夏日になると伝えていました。その時は北九州地方とは7~8度も気温が違ったのです。
そんな気温だと持参した服装では過ごせないね…と妻と話し、間に合わせに夏用のウエアを急遽仕入れることにしました。幸いにも食事した店から50mほど先にショッピングモールがあったので、私は夏バージョンの半袖シャツ、妻はTシャツを仕入れたのが、翌日は大変役立ちました。
その時期(コロナ禍)の沖縄では定番のレンタカーの予約が難しかった事もあって、翌日はバスを利用しての「沖縄本島半周めぐり」を予約していたのですが、流石に観光県・沖縄です。1日に5~6便ほど運行するバス会社が数社もありました。
さて、翌日は朝から大型観光バスにほぼ満席の客を乗せての運行。「万座ビーチと海底見学」~「昼の焼肉ランチ」~「フクギの並木」~「美ら海水族館」~「北谷〈ちゃたん〉町の美浜アメリカンビレッジ」と、約8時間かけての移動スケジュールでした。
「万座ビーチ」での海底見学(と言っても水深10mくらい?)は確かに水がきれいです。遊覧船のサイドがガラス張りになっており、行き交う魚たちの中に偶然ウミガメの姿が見えた時はラッキーでした。
また、美ら海水族館が開館20周年を迎えた時期でもあり、やっとコロナ禍が下火になった事もあって、我々が訪れた日は多くの訪問者で盛況でした。
日本最大級の水槽はさすがの迫力で、悠々と泳ぐ体長8mほどもあるジンベイザメとそれにも負けないようなでかいサイズの数匹のマンタ、多数の魚たちも広い水槽で伸び伸びと暮らしているのでしょう。
20年以上も前に大阪の「海遊館」でジンベイザメを見た時も驚きましたが、改めてそのビッグサイズに感心、更に屋外でのイルカのショーなども楽しめました。
さて、バスで一通りの行程を終えて那覇まで帰る途中、次第に暮れなずむ空を見るうちに最後の休憩地の北谷(ちゃたん)町・アメリカンビレッジに到着した時はすっかり陽が落ちていました。
2日目の宿泊はアメリカンビレッジにあるホテルを予約していたので、バスの観光客の皆さんとはお別れでした。
北谷町は人口2万8千人ほどなので特に意識していなかったのですが、日が暮れた時間に着いた美浜アメリカンビレッジは「ギンギラギンのイルミネーション」に飾られたド派手な街で、外国人が多数行き交う、まさに異次元の空間。
お祭り騒ぎのアメリカ映画に迷い込んだ錯覚に落ちたようで、食事をするのにも一苦労でした。
何せその日は街全体が大賑わいで、近辺の飲食店を5~6軒回ってやっとの思いでオリオンビールと夕食にあり付けました。何かのお祭りでもあったのでしょうか。
1時間ほど喧噪の中を歩いたのですが、さすがに宿泊したホテル内は静かでゆっくり寛ぐことが出来ました。
さて翌朝、北谷町から路線バスで那覇市の中心部まで約30分。
前日にゆいレールに乗って街を見渡した時も感じたのですが、那覇市は人口規模以上に都会です。32万人どころか40万人以上と聞いても不思議ではありません。(日本有数の人口密度が高い街でもあるのです。)
県庁前バス停で降車して、中心市街地の国際通りや牧志市場周辺を散策です。国際通りはいつもTVで見ていた全国でも屈指の有名な通り。暫くの時間は店々を巡って雰囲気を楽しみ、地元の塩やアクセサリーなどを購入した後は、昼食を牧志市場にある趣のあるひなびた食堂でいただきました。
そして昼食後は妻と1時間半ほど別行動。私が「街歩き」なら妻は「店巡り」です。
一人で市内を自由に歩いてみた限りでも、やはり那覇市は人口以上の規模に感じられて、福岡市の一部を切り取ったようなレベルに見えました。地方の大きな街並みとしての存在感は十分です。
なぜ那覇市はそんなに都会的な街並みかと思い、帰宅後に調べてみると、那覇市と市街地続きで隣接した浦添市(人口約11.5万人)、豊見城市(約6.5万人)、南風原町(約4万人)、西原町(約3.5万人)など、合計約25万人もの人口です。
つまり、那覇市都市圏は60万人にも迫る規模で、40万人どころではありません。なるほどそれなら都会的な街並みも納得です。
北谷町のお祭り騒ぎの賑わいと言い、那覇市の都会的で明るい姿と言い、今回私が訪れた範囲だけで見ると、沖縄はかなり活発で迫力ある地域に見えました。
米軍基地の問題などを抱えているのは勿論知っていますが、日常の生活は活力ある沖縄県だと感じました。イメージ的に停滞気味の佐賀県とは大きな差があるようです。
まあ、沖縄県訪問の価値は、本島ばかりではなく、出来れば多くの離島を含めて見るのが良いのでしょうが、今回のような実質2日間ではとても網羅出来ません。
令和4年10月時点で、それまで私が全国47都道府県のうち唯一訪問していなかった沖縄県。
出掛ける頃には全国的にもコロナの影響が何となく落ち着いてきたイメージがあったので、11月中旬に沖縄県訪問を実行することにしました。これでついに47都道府県への訪問クリアです。
今回、元々は私一人で那覇市に1泊しての街歩きを予定していたのですが、妻と同伴という事になり、「あら、せっかく行くならもう少し他の場所にも回りましょう。」とは妻の弁。
まあ仕方ないか…、という事で一緒に出掛けることになりました。初めての沖縄県でしたが、日程を組む際に沖縄本島の地図は大まかに理解出来るくらい見つめて計画を立てました。
福岡空港から那覇空港までの距離は、東京までと同じくらい。飛行機で凡そ1時間半ほどのフライトです。
福岡空港を午後から出発の飛行機を予約。午後3時頃到着予定だったので、1日目は那覇市内の首里城公園(守礼門など)を少しはゆっくり見学出来るかなと思っていたところ、飛行機が40分以上も遅延しての出発で、那覇空港への到着が夕方4時頃になってしまいました。
到着後、那覇空港からモノレール(ゆいレール)に乗り、首里駅に着いたのが夕方の4時40分頃。駅から首里城公園まで近いとは言え、徒歩で10分ほどもかかり、間もなく夕暮れ時に差し掛かる時間で、いくら緯度が低い沖縄でも何となく夕景のイメージになってしまいました。
首里城公園の入口で案内看板を見ると、公園は思いのほか広く、こうなったら断片的に見るしかないと思い、守礼門近辺に限定しての見学だったのは仕方なかったですね。
1時間ほど散策して首里城公園を後にしました。その後は首里駅からゆいレールで後戻り。副都心の「おもろまち」のホテルへチェックインした時は既に薄暗い時間でした。
一休みするのもそこそこに、ホテル近くの海鮮がメインの食事処で夕食。リーズナブルな値段でもあり気持ち良く食事が出来たのは良かった。
ところで、11月も20日になろうとしていた時期でもあり、いくら沖縄とは言え、服装は合服で間に合うと思っていましたが、TVの天気予報では翌日から2日間とも好天で気温が上がり、何と夏日になると伝えていました。その時は北九州地方とは7~8度も気温が違ったのです。
そんな気温だと持参した服装では過ごせないね…と妻と話し、間に合わせに夏用のウエアを急遽仕入れることにしました。幸いにも食事した店から50mほど先にショッピングモールがあったので、私は夏バージョンの半袖シャツ、妻はTシャツを仕入れたのが、翌日は大変役立ちました。
その時期(コロナ禍)の沖縄では定番のレンタカーの予約が難しかった事もあって、翌日はバスを利用しての「沖縄本島半周めぐり」を予約していたのですが、流石に観光県・沖縄です。1日に5~6便ほど運行するバス会社が数社もありました。
さて、翌日は朝から大型観光バスにほぼ満席の客を乗せての運行。「万座ビーチと海底見学」~「昼の焼肉ランチ」~「フクギの並木」~「美ら海水族館」~「北谷〈ちゃたん〉町の美浜アメリカンビレッジ」と、約8時間かけての移動スケジュールでした。
「万座ビーチ」での海底見学(と言っても水深10mくらい?)は確かに水がきれいです。遊覧船のサイドがガラス張りになっており、行き交う魚たちの中に偶然ウミガメの姿が見えた時はラッキーでした。
また、美ら海水族館が開館20周年を迎えた時期でもあり、やっとコロナ禍が下火になった事もあって、我々が訪れた日は多くの訪問者で盛況でした。
日本最大級の水槽はさすがの迫力で、悠々と泳ぐ体長8mほどもあるジンベイザメとそれにも負けないようなでかいサイズの数匹のマンタ、多数の魚たちも広い水槽で伸び伸びと暮らしているのでしょう。
20年以上も前に大阪の「海遊館」でジンベイザメを見た時も驚きましたが、改めてそのビッグサイズに感心、更に屋外でのイルカのショーなども楽しめました。
さて、バスで一通りの行程を終えて那覇まで帰る途中、次第に暮れなずむ空を見るうちに最後の休憩地の北谷(ちゃたん)町・アメリカンビレッジに到着した時はすっかり陽が落ちていました。
2日目の宿泊はアメリカンビレッジにあるホテルを予約していたので、バスの観光客の皆さんとはお別れでした。
北谷町は人口2万8千人ほどなので特に意識していなかったのですが、日が暮れた時間に着いた美浜アメリカンビレッジは「ギンギラギンのイルミネーション」に飾られたド派手な街で、外国人が多数行き交う、まさに異次元の空間。
お祭り騒ぎのアメリカ映画に迷い込んだ錯覚に落ちたようで、食事をするのにも一苦労でした。
何せその日は街全体が大賑わいで、近辺の飲食店を5~6軒回ってやっとの思いでオリオンビールと夕食にあり付けました。何かのお祭りでもあったのでしょうか。
1時間ほど喧噪の中を歩いたのですが、さすがに宿泊したホテル内は静かでゆっくり寛ぐことが出来ました。
さて翌朝、北谷町から路線バスで那覇市の中心部まで約30分。
前日にゆいレールに乗って街を見渡した時も感じたのですが、那覇市は人口規模以上に都会です。32万人どころか40万人以上と聞いても不思議ではありません。(日本有数の人口密度が高い街でもあるのです。)
県庁前バス停で降車して、中心市街地の国際通りや牧志市場周辺を散策です。国際通りはいつもTVで見ていた全国でも屈指の有名な通り。暫くの時間は店々を巡って雰囲気を楽しみ、地元の塩やアクセサリーなどを購入した後は、昼食を牧志市場にある趣のあるひなびた食堂でいただきました。
そして昼食後は妻と1時間半ほど別行動。私が「街歩き」なら妻は「店巡り」です。
一人で市内を自由に歩いてみた限りでも、やはり那覇市は人口以上の規模に感じられて、福岡市の一部を切り取ったようなレベルに見えました。地方の大きな街並みとしての存在感は十分です。
なぜ那覇市はそんなに都会的な街並みかと思い、帰宅後に調べてみると、那覇市と市街地続きで隣接した浦添市(人口約11.5万人)、豊見城市(約6.5万人)、南風原町(約4万人)、西原町(約3.5万人)など、合計約25万人もの人口です。
つまり、那覇市都市圏は60万人にも迫る規模で、40万人どころではありません。なるほどそれなら都会的な街並みも納得です。
北谷町のお祭り騒ぎの賑わいと言い、那覇市の都会的で明るい姿と言い、今回私が訪れた範囲だけで見ると、沖縄はかなり活発で迫力ある地域に見えました。
米軍基地の問題などを抱えているのは勿論知っていますが、日常の生活は活力ある沖縄県だと感じました。イメージ的に停滞気味の佐賀県とは大きな差があるようです。
まあ、沖縄県訪問の価値は、本島ばかりではなく、出来れば多くの離島を含めて見るのが良いのでしょうが、今回のような実質2日間ではとても網羅出来ません。