アリとキリギリス(続・おしゃべりさんのひとり言 103)
「こんなにいい肉が転がっているわ」
「他の生き物に横取りされる前に、早く巣に運びましょう」
働きアリたちは、まだ微かに息が残るキリギリスの体を、ありがたく頂戴するのだった。
アリはこの肉を地中に持ち帰り、食料として保存する。
数千、数万のアリたちが、生をつなぐのに無駄なく役立たせてもらっているのだ。
・・・この年の初夏に、地面からキリギリスの赤ちゃんが顔を出した。
彼はまだ5ミリに満たない幼い子供だった。
それまでは2~3年、地中でタマゴの状態で成熟して、やっと地上に現れる。
その数は数十匹、一斉に這い出して来た。
「いそげ。いそげ、いそげ」
そして、目指すのは草の上だ。
このまま地面にいると、アリに見付かって襲われてしまうだろう。
また、その赤ちゃん同士でも競争がある。
「近付くな~。あっちに行って!」
キリギリスは捕食性が強く、弱い兄弟を共食いしてしまうからだ。
働きアリが、地面から顔を出した。
その体は5ミリに満たない立派な大人だ。
毎日、エサ探しに出かけて行く。
「あ、見っけ。みんなに教えてやろう」
そしてアリの集団はエサを運べる大きさに切り刻むと、行列を成して巣に持ち帰る。
これを日に何度も、死ぬまで続ける。
こうすることで大勢の仲間たちの命を保つことが出来るから。
キリギリスの子供は、毎日生き残りをかけて、必死に生きた。
目的は大人になることだ。
「いっぱい、いっぱい食べないと」
葉っぱをかじったり、小さな虫を捕まえたりして食べる。
弱肉強食の世界。その獲物にはアリたちも含まれることだろう。
それらの犠牲のもとに、キリギリスは少しずつ成長し、何度か脱皮を繰り返した。
「どうだい? イカした姿になっただろう」
立派な翅が生えそろった成虫にまで生き残るのは、ほんの数パーセントだ。
大人になると生きる目的が変わる。
種の存続のために、子孫を残すことに集中する。
キリギリスは暑い夏に、大声で歌を歌う。
「ギーーース、ギーース・チョン!」
それは恋の歌で、まだ見ぬパートナーを捜しているのだ。
「ハイ、彼女! 僕と子孫残さな~い?」
「ねえ、キリギリスさん。遊んでばかりいちゃダメだよ」
「ハハハハハ。アリさんたちは働いてばかりで何が楽しいの?」
「先を見据えて準備をしておかないと大変なことになるよ」
「今を精いっぱい生きればいいじゃないか」
そんなこと話しているかどうかは分からないけど。
そんなキリギリスの姿を横目に、アリたちはせっせと働き続けた。
なぜならアリは、キリギリスみたいに自分のことだけしていればいいってもんじゃない。
大勢を養わなくちゃならないし、寒い冬の間のエサも、今から計画的に集めておかないといけないから。
「働かなくちゃ、働かなくちゃ」
大きく育ったキリギリスのことなんか、気にしてる場合じゃない。
例え仲間がキリギリスに食べらようとも、気にしてる暇もない。「もっと働かなくちゃ」
猛暑のある日、キリギリスはついにパートナーと出会った。
一生で最も幸せな瞬間だ・・・と思うかどうかは分からないが、僕はそう思う。
交尾したメスは無事、タマゴを地中に産んでくれて、オスの役割は終わった。
このキリギリスが、冬を越える意味はもうない。
やがて寒い季節が来て、エサがなくなって、お腹が空いて死ぬのではない。
ただ力尽きて・・・目的を果たした彼はきっと満足していることだろう・・・と僕は思う。
そしてその亡骸は、アリたちの糧となるわけだ。
しかし、アリはただエサを集める毎日しかなかった、目の前の肉の塊があのキリギリスだったとしても何も思わない・・・と僕は思う。
アリの社会はよくできている。
女王がいて、生殖専門の雄と交尾を繰り返し、タマゴを何年も生み続ける。
同じメスなのに働きアリの寿命は1年くらい、毎日ただただ働き続けている。交尾もしない。
そんな仲間を守るのはオスの兵隊アリたち。寿命はたった2カ月ほど。
その社会がよく出来ていると言ったのは、アリ一個体(個人)の意思は関係なく出来ているという点だ。
働きアリは、毎日タマゴの世話をすることが嫌にならないらしい。
エサ捜し専門のアリも、その作業に飽きないようだ。
もっとも働きアリの約2割は、作業をさぼっているという観察報告もあるそうだが、他の働きアリが死んだり、他の動物に食べられて数が減少すると、急に作業に参加しだすという研究結果もある。
兵隊アリは、自らの命を投げ出して戦う損な役回りなのに、その寿命自体が非常に短い。
女王アリと言うのに、命令したり威張ったり、いい生活が送れているわけでもなく、単なるタマゴ製造機に他ならない。
人間の組織社会にも劣る体制の中、幸せとかいう概念はないだろう・・・と僕は思う。
やがて寒い冬が来て、ジッと春が来るのを待ち、次の春が来ても去年の働きアリがまた出て来るのではないのだ。
その大多数は死んで、自らも仲間のエサとなり、もう次の世代のアリたちにその役目は引き継がれているのである。
そしてそれからの新しい世代もまた同じことを繰り返し、日々の作業に明け暮れる・・・。
イソップは、そんなアリの一生を手本にすべきとし、一方キリギリスは遊んで暮らしたツケが回って来たかのように表現されている・・・昆虫学的には、誤解してると僕は思う。
この物語は人間の子供たちに対して、「将来のために準備しておくことは大事だよ」って教訓のようにして扱われてきた。
それはいいことだよ。でも現実を知れば、アリとキリギリスの一生に大差なんてない。
それより驚くことにキリギリスの仲間には、冬を越して翌年も元気な種類だっているんですから。
このようなアリ社会に疑問を抱かせず、人生の意味を考えさせずにただ働かせるのは、今の世代には合っていないと感じますけどね。
むしろ現代社会では、キリギリスを肯定する派が大勢を占めるように思います。
現代版『アリとキリギリス』では、アリのような生き方を悲惨な一生として表現できそうだ。
ただ生きる人生と、目的を達成する人生を、別次元で捉えたいじゃないですか。
キリギリスのような人生が送れたら、なんと素晴らしい事か・・・と僕は思う。
ひょっとすると次の世代じゃ、『冬も死なないキリギリス』が賞賛される日が来るかもしれないな。
アリの一生に、人生の意味を見出ださせるのはもうやめよ。
(しがない会社員の実感です)
つづく
作品名:アリとキリギリス(続・おしゃべりさんのひとり言 103) 作家名:亨利(ヘンリー)