魔除け
私は答えた。
「昔の歌でしょ。アメリカの歌手の歌よ、確か」
「うん、そうだ。思い出した。しかしあれはどういう意味なんだろうなあ」
「あの歌はイギリスの民間伝承が元になってて、ハーブは魔除けなのよ」
「へえ。でも俺は料理が思い浮かんじゃうなあ。日本だと菖蒲とか柊とか、魔除けの植物って食べ物じゃないじゃん。なのにイギリスじゃ、家にある食べ物なんだな」
カウンターの中で彼はハーブのパスタを作りながら言った。
「匂いの強いものが魔除けになるのかしらね。ニンニクとかスパイスとか」
「虫避けとか防腐効果とか、そういう効能からの連想なのかもなあ」
彼は鼻唄を歌いながら、フライパンの上でハーブとニンニクを炒めていた。
「ところで、昨日通りかかったらあなたのお店の前に立ってた女の人がいたんだけど、あなた知ってる?」
彼はちょっとだけ振り向いて私の方を見た。それからまたフライパンに目を戻した。
「何だろうね。知り合いなら入ってくると思うけど。入るかどうか迷ってた客じゃねえかな」
「ずっと立っていたわ。何か用事があったんじゃないかな」
「ふーん。気付いてなかったな」
そのタイミングで客が店に入って来て、話は中断された。
私は出されたパスタを食べながら考えていた。
私は彼女の顔を知っていた。もう一月も前に亡くなっていることも。
彼女はこの店の常連だった。
彼女は同じ席で同じものばかり注文していた。そして黙々と食べていた。時折、カウンターの中の彼の方を見ていた。
私は彼女がどうして死んだのか知らない。彼が常連さんが亡くなったんだよ、と客と話しているのを聞いただけだ。
ただ、彼女は若くして亡くなり、彼に何か伝えたいことがあったのは間違いないと思った。
彼女を見たことで、彼女は私が見たことがある唯一の幽霊になった。
私は伝票を持って立ち上がった。
「ごちそうさま。おいしかった」
「はい、ありがとうございます」
代金を手渡しながら、私は彼に伝えた。
「今夜お店が終わったら、少し付き合って欲しいの」
彼は不思議そうな顔でこちらを見ていたが、すぐに笑顔になった。
「おう、いいよ。明日店休日だし」
私と彼は友人だ。何事もなければこのまま死ぬまで。
死んだら伝えることもできないから、生きているうちに言わなければならないのだ。
入り口にあるレジ台の硝子の空き瓶には、ローズマリーの小枝が活けられていた。