人生×リキュール ディタ
「綿花さんがお局に捨てられたもの、自家製の果実酒だったって」本人から聞いた、と彼女が言い終わらないうちに、果実酒って焼酎かなんかに果物漬けとくヤツだよね、と一人が顔を上げる。なーんだそれならもう一度漬ければいいんじゃない? という空気が漂ったが一瞬で消えた。
「綿花さんが激怒したくらいなんだから・・・ソレ、ただの果実酒じゃあ、ないんでしょ?」ショートヘアの勝気な性格をしたヘルパーがストレートに訊ねる。引っ詰め髪のヘルパーは、まるで本当にあった恐怖体験でも話すような顔つきで、ゆっくりと頷いた。
「旦那さんが満洲で手に入れたライチの種から育てたライチが、漬けてあったらしいよ」うっわマジかーそれはマズいわ、どうしようもないやつじゃん、と絶望の声がいくつか上がった。
「綿花さん、大事に大事に育てたライチを長く味わいたくて果実酒にしてたんだって。毎年漬けて、熟成の度合いに合わせて少しずつ飲んでたみたい。でも、それを見たお局が体に悪いからって話も聞かずに勝手に全部捨てちゃった、らしい・・・」最悪じゃん、最低過ぎる、だねだねと眉を潜めて首を振るヘルパー達は、定時を過ぎてしまったことに気付いていない。「綿花さん可哀想」と誰かが同情を口にする。それを口火となって、ほんと可哀想!とヘルパー達は一斉に騒ぎ出した。
「どうにかしてあげられないかなぁ?」と口にするヘルパーに、いやいや無理でしょ、第一どうにかってお局が責任持ってどうにかしなきゃいけないんじゃない? あのデブにはどうにかしようとする頭なんてないよ、そうそうアイツの頭にあるのは他人の失敗だけ、今日の朝礼だってえっらそうにっさーこの間、新人が利用者を怒らせたことを取り上げて責任のある行動をとか垂れちゃってテメーがだろって感じ、ほんとほんとそんな時だけしゃしゃり出て鬼の首取ったみたいなドヤ顔ぶら下げちゃって腹立ったわ、などなど愚痴が機関銃のように飛び交う。
「今月、花見会を催すじゃない? その時になにかしてあげられないかなぁ」
「なにかするって、なにするの? またお局のチェックが、うるさいよ」アイツ、自分は口出すのが仕事だとか絶対思ってるから。人一倍食ったり飲んだりするくせに、ケッチ臭いんだよねーと又しても文句になる。
「だから・・・内緒で」
その場にいた全員の視線が、提案を口にした引っ詰め髪に集まり、次いで部屋内外を素早く伺う。噂のお局は定時で帰っており、扉を隔てた隣室ではチーフと事業所長がそれぞれ電話対応中だった。
「マジで、やる気?」ゆっくりとけれど深く頷いた引っ詰め髪のヘルパーを見つめるたくさんの眼差しには、秘密のサプライズを企画するという興奮と期待が既に満ち満ちていた。にっくきお局を出し抜けるチャンスなのだ。
「おっけーじゃあ何から始める?」とショートヘアが囁くように聞いてきたので、自然と他の者も顔を伸ばして肩を寄せ合う形に集まった。そうしながら扉の向こうの気配に神経を尖らせる。
「なくなってしまったものは、あたし達にはどうにもできないから、そうね・・・全く違うけど似たようなものを用意するっていうのは?」それって、ライチのお酒ってこと? そんなのあるの? と疑問が上がる。
「今は色んな輸入食材だって簡単に手に入る時代なんだから、探せば絶対にあると思う」
「おっけーじゃあ、それに決まりね。各自で探して、後日結果報告。秘密厳守。それでいい?」ショートヘアの締め括りの言葉に、ヘルパー達は真剣な面持ちで小さく頷くと各パソコン前へと散って行く。そして、新たに発生したいかにも楽しそうなミッションに逸る気持ちを抑えながら、残った介護記録を完成させるべくキーボードを叩き始めたのだった。
数日後、桜が咲き始めた。
うっすらと淡く色付き始めた桜並木の通学路を、卒業生以外は普段変わらぬ登下校を繰り返して春休みを待ちわびる小学生がランドセルをガシャガシャ鳴らしながら下校している。彼らには春の花を愛でるなどという大人びた風流さはない。花は花でしかなく、ジャンクフードや菓子など彼らにとって好むものでもなければ、アニメやゲームのような娯楽でもない。大人が言うところの春であって、桜という風景なだけであった。
「おばあちゃん家には、行ったらいけないのよ!」ツインテールの女子が、男子に怒鳴っている。
「はあ? 勝手だろ。ダメだって誰が決めた?」と、ランドセルをぶんぶん振り回しながらアパートに向かおうとしていた男子数人が止まって腰に手を当てている女子を振り返った。男子のリーダー格はツーブロックだ。
「うちのママが言ってたんだから!」うちのママがぁーうちのママぁーと何人かの男子が彼女の口調を真似してゲラゲラ笑い転げ始める。ツインテールの子は林檎のように顔を紅潮させながら尚も続けた。
「あのおばあちゃんは優しそうに見えるけど、ほんとうは怖い人なんだって!怖い目に合うんだから!」
「オマエの母ちゃん、ばあちゃんが怖い人だってどこで知ったんだよ。怖い目ってどんな目だよ?」
「それは・・・」言葉に詰まってしまうツインテール女子。ほんとうのところ、彼女にもよくわからないし、よく知らない。ただ、ある日、ママに突然言い渡されたのだ。『あのおばあちゃんは本当は怖い人だから、絶対に近付いたらいけない』と。それも何度も。怖い顔で。だから、すべからく納得した。そうしないと怖いから。口答えするとママは、いいからママの言う通りになさいってすぐ怒るから。でも、確かに、男子が言うようにどうしてあのおばあちゃんが怖い人なんだろう?
「知らねーのに、言ってんじゃねーよ。バーカ」軽蔑が混ざった鋭い視線を彼女に突き刺したツーブロックの男子は、バーカバーカと連呼しているその他大勢と一緒にゲラゲラ笑いながら角を曲がってしまった。きっと、おばあちゃんが住んでいるアパートに行くんだ。
「ママに・・・」チクってやるから。いい考えだわと、ツインテール女子はニヤリと笑う。そうすれば、PTA役員の母親が学校に働きかけてくれるはずで、そうすれば先生から注意されるだろうから、それで、あの生意気で忌々しいツーブロックをぎゃふんと言わせることができるかもしれない。
「無理だよ」
耳を氷で撫でられたような冷静な声が真横から聞こえて、ツインテール女子は飛び上がった。
彼女の横をすり抜けていく眼鏡をかけた優等生の男子が読んでいた植物図鑑を閉じたところだったのだ。
「無理って、なんでよ!」自分から出た怒鳴り声が、母親の嫌いな声に似てるなと彼女は思った。
「おばあちゃんの孫だもん。彼」
作品名:人生×リキュール ディタ 作家名:ぬゑ