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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Dispose

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『先に、出しといたよ』
 おれが言えば、それが朝の決め台詞のように、妻の沙世は良く笑った。二十代半ば、同棲して一年が巡った辺りで、おれが猫を被っているわけではなかったと、遂に納得したのだ。『朝イチ綺麗にゴミをまとめて、掃除も洗濯もして、家をホテルのように綺麗に保つ男の人なんて。そんな人いないよ』。これは、同棲して一週間が過ぎたときの、沙世のコメント。風呂場を汗だくになりながら掃除していたおれを見て、さすがに驚いたらしい。
『すごく綺麗になった、ありがと。だから、無理しないでよ』
 沙世のねぎらいの言葉には確か、『性格だから』と言い訳のように応じたと記憶している。それは事実で、おれは、物が家にあるのが嫌いだ。いつかは捨てるのだし、思い出に残るのなら形がなくてもいいと思う。
 同棲から二年が経ち、沙世は猫を飼いたいと言った。おれは子供のころ猫を飼っていたが、いい思い出としては残っていない。だから、猫カフェを巡ったり漁港を旅するのはいいが、家族の一員とするのは、正直気乗りしなかった。
『お別れのときは辛いもんね』
 沙世が、今まさに飼い猫を失ったような表情で言い、そんなやり取りを何となく雑に聞いていたらしい神様が、その年の暮れに、おれたちに子供を授けた。娘は母から一文字継いで、沙耶香と名付けた。三人家族になり、沙世が一番心配していたのは根っからの綺麗好きであるおれだった。しかし、育児に関しては何が汚れても気にしないのを見て、沙世は『潔癖ってわけではないのね、底知れないわー』と言って笑っていた。
 もちろん、おれの性格が原因で揉めたことは何度もあった。間違えて買ったばかりの本をその日に捨ててしまったことがあって、そのときに言われたことは今でも覚えている。
『普通は、要らなくなったから捨てるんだよね?』
 厳密に言うと、少し違う。要るかどうか分からないものが存在することに耐えられないだけだ。第一『普通』というのは、沙世は何を基準にしていたのだろう。
 幼少時代、母親に言われたこと。
『猫が飼いたいの? 動物であっても、ひとつの命よ。よく考えて決めなさい』
 父親は確か、こう言った。
『一度飼ったら、猫はお前のことを頼るようになる。しっかり面倒を見てやれ』
 おれは、家具や物がほとんどない家で育った。最後に両親の顔を見たのは、大学に入った年だ。そして今年、三十歳になる。沙世は二十九歳、沙耶香は三歳になった。        
 今は、朝の六時半。おれが起きる時間は、目覚ましで常に決まっている。実際には、もう少しだけ早起きな沙耶香に起こされることの方が多かった。今日は頭がすっきりせず、寝不足なのは間違いない。居間で、真横から朝日を浴びながら昨日届いた段ボール箱を見下ろしているが、手が思うように動かない。それでも、ネット通販の梱包は畳み甲斐があるから好きだ。中身は沙世が仕事で使う本だが、それよりもはるかに大きな箱に入っていた。昔からスマートフォンを持ちこめない職場だから、沙世は電子書籍ではなく紙の本を欲しがる。
 段ボール箱を平らにすると、カッターナイフで切れ目を入れて曲げやすくしてから、そこを起点に折り畳んだ。沙世は昨日が徹夜で、今ちょうど帰宅し、目の前を通り過ぎていったところ。猫なで声の『ただいまー』は、沙耶香に向けたものだ。
 おれたちの間で何かが決定的に狂ったのは、ここ一年の話。おそらく、沙耶香が歩けるようになり、おれが最初に買った歩行器を捨てたときだ。
『何が必要で何がもう要らないか、あなたはずっと見てるの?』
 沙耶香は早く歩けるようになったし、もう使うことはないだろうと思ったのだ。いつもやっていることだったし、間違えて他のものを一緒に捨てたというわけでもなかった。
「さやちゃん、ただいまぁー」
 沙世の声が、寝不足の頭に突き刺さる。『普通』という言葉には、結構な重みがある。おれはずっとそう意識して生きてきた。そんな軽々しく使ってはならない言葉だと。禁句とまでは言わないが、壁を作る言葉だ。
『普通は、引き取り手を探すらしいよ』
 小学生だったおれは、泣きながらとはいえ、よくあれだけのことを親に言ったと思う。猫の名前は『チャーミー』。どうやって名づけたのかは、もう覚えていない。人懐っこい性格で、物が存在しない家の中を不思議そうに見上げている姿を見ると、これは普通じゃないよなと、変に確信したものだ。チャーミーは幼少期の味方だったが、父親が転勤することになり、引っ越し先には連れていけなくなった。猫の世話をするには、誰か一人が居なければならない。
 おれは段ボール箱を畳み終えた。朝日がどぎつくなり、色が薄くなっていく。
 歩行器を捨てたとき、置き場所にしていた居間の隅を眺めながら、沙世は言った。
『見張られているみたいで、怖いの』
 それは、間違っていない。何が必要で、何が必要でなくなったか、おれは常に確認している。仕事も似たようなことを任されていて、起きている間のほとんどはそのように過ごしている。
 目の前で足音が行き過ぎる。君は、それを日常の一部として受け入れたはずだ。友人の前ではいつも『なんでも率先してやってくれる』と自慢していた。普通どころか、楽だったはずじゃないのか? 要らなくなったら、物は捨てなければならない。その苦しさは、沙世には味わってほしくない。おれはそれを、チャーミーとの日々で嫌というほど経験したから。
『あなたがいなかったら、この子はどうやって生きていくの』
『最期を見届けないのは、無責任だろう』
 必ず、母親が口火を切る。次に父親。その中で最適解を見つけるのに必死だった、小学校四年生のおれ。何もない部屋を不思議そうに見上げていたチャーミー。勝手に立ち去ることは許されなかった。おれの顔を見ていたチャーミーは最後まで、自分が飼い主の手で殺されるということに気づいていなかった。
 それから時が過ぎて、今から五年前。結婚に向けて前向きな話を始めたとき、沙世が地雷を踏んだように息を呑んだ。
『ごめんなさい。今まで、ご両親の話が出なかったから』
『もう、六年前の話なんだ』
 そんなに驚く話じゃない。おれは、それが必要かどうかを、常に見極めているんだから。奨学金で大学の学費が工面できたときに、その転機が訪れた。ただ、それだけのことだ。そして、沙世も今、自分に転機が訪れたと思っているに違いない。
『ちょっとの間、実家に戻りたい』
 そんなことを言われたのは、二日前。月曜日の朝だった。おれは棚を分解して、原型がなくなるぐらいにあちこちを折って、綺麗に畳んだところだったと思う。ノートパソコンに買い替えたから、今までに使っていたパソコン用の棚が要らなくなったのだ。理由を尋ねたら、平手打ちのような言葉が返ってきた。
『あなたは家の中に、何も置かないじゃない。結婚の前に私が買ってきたものだって、もう一つも残ってないんだよ』
 おれは、物が家にあるのが嫌いだ。
 どれだけ愛情を注いでも、いつかは原型がないくらいに折り畳む羽目になるから。
 家族が自分からそんな存在になりたがるなんて、そんな日が来るとは思っていなかった。しかし、来たからには仕事を終わらせなければならない。
作品名:Dispose 作家名:オオサカタロウ