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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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八人の住人

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桔梗が引っ込んでから、改めて目が覚めた時子は、時子ではなく、「彰」でした。

彰は、テーブルにうつ伏せた状態から頭を上げながら、目の前を睨みつけ、苛立たしく唸るようなため息をつきました。

「目が覚めたのは、本当に久しぶりだ…」

彰は、一年ほど前にカウンセリングルームで出てきたのが、最後でした。

この子の夫はその時、時子の前の席に座っていて、「どうやらまた時子じゃないらしいぞ」位には分かっていたようでした。

彰は、怒っていました。怒りの人格だからです。

奴は腹立たしそうに、こう言います。

「アンタも、俺が誰だろうと、どうでもいいんだろ」

「まあ、そうなるね」

夫君がどんな意味合いでそう答えたのかは、僕には分かりません。彰はその返事をさして気にしていないようでした。

「どうせ俺が何を考えていようと、誰だってどうでもいいんだ」

「どうして?」

彰は、俯いて横を向きました。

「俺は、憎いんだよ」

時子の柔らかな、高く澄んだ声が、憎々しげに歪められ、低く震えていました。

「お母さんを殺したいのかい?」

彰は、前に「あの女を殺してやりたい」と、時子の母親について口にした事がありました。彰は、強い強い、怒りの人格であり、時子が封印した殺意でもあったのかもしれません。

「それもある。でもそれだけじゃない」

つまらなそうに片手を振ってから、彰はまた俯いていました。

「俺は…憎いんだ」

「お母さんが?」

そう言われて、彰はすぐさま時子の夫を睨みつけ、大声でこう言い放ちます。

「この世の全員さ!誰一人、この子が苦しんでたのに、何もしなかったじゃないか!」

「それは、まあ…」

彰は止まらずこう続けました。

「小さな子供が一人で苦しんでたのに…!誰も手を出さなかった…!」

時子の夫は、どうしてやったらいいのか分からなかったでしょう。でも、こう言ってくれました。

「誰しも、自分が一番可愛いものだからね」

時子の夫は、彰の意見を責めませんでしたし、彰の言う「全人類」に代わっての釈明もしませんでした。

それから、時子の夫は彰を、時子をちらっと見てにへへと笑い、こう言いました。

「でも、俺は結構頑張ってると思うけど?」

「まあ、だから、アンタには怒らないよ…」

そう言ってから、彰は眠りました。


時子にとっては、自分の中に、「私を見捨てた全人類を許さない」などという気持ちがあるなんて、思いもよらない事でしょう。

彼女はいつも人を愛し、自分よりも目の前の誰かを優先していて、それが自分の満足なんだと信じています。

でもそれは、自分勝手な母親の機嫌をいつも気にして、母親の意見だけを優先させていた頃があったから。

母親を亡き者にして、自由を勝ち取りたい気持ちがあっても、彼女は優しいから出来なかった。

自分の苦難を、周りの大人が見て見ぬふりをしていた事に不満があったのに、“お母さんを前にしたら、大人だって怖いはず”と、進んで気持ちを汲んで、誰も恨まなかった。

「彰」は、そんな風に、時子に存在を否定された「怒り」です。でもそれを、今晩時子は口から出して、夫に伝えた。表現し始めたのです。

これは大きな進歩だと思います。

彰は、時子が安全に生きていくため、隠れた所で生きてきた。もし母親の前で時子が怒ったりすれば、暴力でやり返されるだけだったから。

でも、もうその必要はなく、自分は安全なんだと、時子自身が感じてくれている。だから、表に感情を出し始めた。僕はそう見ています。

もう朝になってしまったので、軽く何かを食べてから、もう一度眠れないか、やってみます。

長々とお読み頂き、有難うございました。気が向きましたら、またお寄り下さい。




作品名:八人の住人 作家名:桐生甘太郎