六月生まれの父、九月に飛び立った蛾
実家の父は、四十三年間勤めた製造会社を定年退職してから、趣味で巨峰の栽培を始めた。ことしで早や十九年目になる。水遣りや消毒、ハウスの補修など、たいていは父ひとりでこなしてしまうのだが、四百を超える袋かけ作業には、家族の手に親戚も加わる。父も高齢になり作業が辛くなってきたとこぼし始め、巨峰は今年で終わりとの話も出ている。また樹勢の方も、十五年を超えると年々落ちてくるという。
さる九月の夕暮れ、徒然なるままに部屋で嘆息していた自分は、巨峰をちぎりに来いという電話を受けて飛び起き、父の畑に出かけた。三丁に満たない距離である。六月下旬の袋かけのころは、大きさも形もぺんぺん草とたいして変わらないほどの房だったのが、夏も過ぎれば、枝もたわわに、片手では持て余すほどにも実をつけている。目の細かい防虫ネットの内側では、どどめ色の大粒がひしめいていて、早く出してくれろとうなっているようだ。
しかし去年までは、袋はこんな赤いネットなどではなく、薄い内職袋のような紙製で、下側に空気の通る切れ目が入っていたものだった。今年だけ、さらに言えば、今年で終わりだというのに、なんでこんな袋に変えたのか。
六月に抱いたささやかな疑問は、九月の収穫のころには、いっそう大きく成長していた。なんとなれば、袋がいつもより外しにくく、また下に穴が開いていないものだから、腐れば落ちるべき実が底部に残り、異臭を発しているからである。
自分は、これまでの親父の難儀を思い浮かべ、同時に、なんでこんな取りにくい袋にしやがったかといくつも舌打ちしながら、サビついた花鋏でもって、ネットがついたままの大房を根本から次々と切り離していた。
単純な作業を繰り返しているときには、別に意図がなくとも、じつにいろんな考えが勝手に浮かんでくる。平等であること、典型的な才能、障碍を持った個体、晩生、感染と洗脳と品行不良など、これからおいしいぶどうを食べるという情景とはあまり関係ないことばかりを考えていた。
ふと見ると、赤いネットの内側に、長さ半寸ばかりの蛾の成虫がいる。名前は知らないが、米に付くメイガという細い蛾に似ている。ほほ、生きとし生けるもの、甘いものには目がないのう。
して、この蛾はどこから入ったのか。
袋の上部はビニール紐で房の幹に縛られていたはず。下部は見たとおりの袋小路。
経路はひとつしかない。
この蛾の母親が、子の将来を案じ、よかれと思ってこの房を産卵場所に選んだのだ。
ある月夜の晩に、ネットの外から細い産卵管を突き出して、いたいけなぶどうの実の表面に、いくつかの卵を並べた。孵化した子どもたちは順調に成育した。なにしろ、一生かかっても食い尽くせないほどの食べ物に囲まれているのだ。
己の体は成長するが、食べ物も順調に大きくなる。しかも次第に甘味が増してくる。おまけに外からやってくる同類の害虫どもは、ネットに阻まれてしまい、いじましそうに片目をすがめて覗いているだけだ。
まさにネット様様。
──俺たちがこうしていられるのも、こいつのおかげだよな。
すっかり成長し、夜毎にワインを酌み交わす蛾の兄弟姉妹は、まさに左党そのもの、弓手に杯、空いた馬手の甲でパンパンとネットを叩き、これからもお願いしますぜようわはははは、くきききき……、などとはしゃいでいた。
この世を生きる者にとって、生涯とは、飲めや歌えやだけでは終わらないことを知るときが来る。そうでなくとも体がざわめく。
──おれたち、こんなことをしてちゃいけない。外へ出よう。ネットを破るんだ。
かつて様付けで呼んだネットの意味がわかってきた。知ることこそ不幸の始まり。思い立つことこそ悲劇の始まり。守ってくれてきたと信じたものが、いまは別の顔をして行く手に立ち塞がる。ネットへの恐怖が仇となり、互いの智謀と暴力は当然の帰結だった。あの月夜の晩に並んだ二十四個の命は、いまやひとつを残すのみとなった。それが、才能を持った者なのか、障碍を持った者なのか、品行不良の者なのか、杳として知れない。
ただひとつだけ残った。
それがこの蛾である。
自分は逃がしてやろうと思った。袋の紐をほどき巨大な房をネットから取り出すと、蛾は一瞬だけ羽をピタリと止めたあと、まだ陽の残る九月の青空に羽ばたいていった。
──あいつの人生に、幸あれ。
そう心の中でつぶやいた自分だったが、しかし、蛾を見送ったあと、ちょっとゆるい気もしてきた、というのか脱力した。
──そうではなく、匂いにつられて、ゆるんでいた結び目の間からもぐり込んだのだ。
そう自分は考えることにした。
夕餉のあとで出た巨峰の実はおいしかった。蛾どもがとりこになるのも無理はなかった。
今年で最後のぶどうになる。
父とはいろいろあったが、感謝している。
※──さて、あれから8年余、父は、先の1月、老衰で死にました。
作品名:六月生まれの父、九月に飛び立った蛾 作家名:中川 京人