「検食」だけではすまなかった
まえがき
家に猫がいる。
猫を見ていると羨ましくなることがある。
一日じゅう、よその猫が来ないか、家の中から庭を監視する事を仕事にして、疲れると気に入った場所で休憩する。
一日二回以上は食事をして、時々トイレで用を足し、夜眠くなると寝てしまう。
朝は決まった時間に目覚め、昨日のことは覚えている様子もなく、また同じように一日を過ごす。
毎日の生活に疑問を感じている気配もなく、その日その日をイキイキと暮らしているように見える。
猫になったことがないので、本当のところは分からないが、たぶんそれほど深刻な悩みはないだろう。
猫が羨ましいと思うのは、毎日を、その場その場限りかもしれないが、充実して生きている姿だ。
私は六十年以上生きてきたが、いつも何かしら悩みがあり、心に引っかかるものがあった。
医者という仕事のせいかもしれない。
私のまわりには、いつも、身体に異常のある患者さんや、身体は丈夫だが性格に異常のある人たちがあふれている。
私は、患者さんたちの病気と心を癒すことを使命に日々を送ってきた。
しかし、これからは、自分自身を癒すことも必要だろう。
私に書けるのは自分の日常生活しかないが、平凡な毎日の出来事を書いて、皆さまにお聞かせすれば、少しは私自身の気持ちも、あるいはお読みくださった方々の気持も、和むかもしれないと思った。
大それた望みかもしれないが、それが、このシリーズを書き出した秘かな願いである。
作品名:「検食」だけではすまなかった 作家名:ヤブ田玄白