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2003年1 月、アメリカがイラク侵攻を始めた頃

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《2003年・1月》
ブッシュの息子、ブッシュJRもイスラム圏へ侵攻を始めた頃

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◆1月9日/アメリカは果たして『世界の警察』か?

今年の冒頭からアメリカを取り巻く話題がキナ臭い。12年前の湾岸戦争が近代的な戦争の幕開けだったと報じられますが、確かにリアルタイムでのTV中継はありました。しかし近代的な戦争とは何か…戦争に近代的という言葉を当てはめて良いのかどうか。

ブッシュ大統領と言う鷹派の宰相が、父親に続いて同じイラクに向かって侵攻を目論んでいます。その大きな理由が、大量破壊兵器の製造・所有による他国への侵攻を制約するため…と言う事。(大量破壊兵器=核兵器、化学兵器。) アメリカ側の勝手な論理で、アフガンに続いてイラク国民を痛めつけようとしている感を強く感じます。

イスラム圏への強硬さはどこからくるのでしょう。石油?宗教?…アメリカの態度が世界の警察気取りの姿勢は一向に変わりません。そもそも、核兵器を最大数持っていると思われるアメリカが他国へ干渉する資格があるのかどうか。

第2次大戦の原爆投下は、戦争終結のためと言うより、当時のライバルになろうとしていたソ連への牽制であったとも言われます。また、ベトナムでは大量の枯葉剤でベトナム国民を苦しめています。つまり、他国人へは平気で強攻策を取る国なのでしょう。

2001年の多発テロは、起こるべくして起こった。決して被害国ではないと思えます。

今回は日本からの支援として、最新鋭のイージス艦がペルシャ湾に向かっているようですが、その船はアメリカから数千億円で購入した自衛隊自慢の艦船、後方支援だけで済むようであればイージス艦を派遣しなくても良かったはずでしょう。

日本政府内でも良識派で戦争経験者の野中さん達が反対したのもうなずけます。恐らく有事の事態になればそのレーダーなどの機能を生かして、裏からの参戦状態になると思われるのだから。

戦争放棄の今の日本国憲法に明らかに違反します。先の第2次世界大戦の惨状を忘れたか――と言う事なのです。アメリカの金魚の糞で良い訳はない。確かに英国のブレア首相は今回も同調していますが、他の欧州諸国はもう足並を揃えてはいません。ドイツやフランスなどは、むしろ反対意見を出しています。

日本とすれば、今後の北朝鮮への心配もあって、これから確かにアメリカに頼る部分もあるでしょう。しかし、攻撃を仕掛けるのに参加するのはいただけませんね。

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◆1月15日/哺乳類の呼吸は5億回

地球上の哺乳類は何種類くらいあるのでしょうか。あらゆる生物の種類から考えるとほんの一握りでしょう。我々哺乳類は見た目にも呼吸しているのがすぐ分かります。魚類や爬虫類、鳥類なども呼吸しているのはそれなりに分かりやすい。虫や節足類なども血液がある限りは呼吸しているのでしょうけど。

先日、五木寛之氏の『生きるヒント』と言うエッセイ風・啓示書風の本を読んでいたら、哺乳類の呼吸回数は5億回である…との内容がありました。それは生物学者の書いた本からの引用であったのですが、そう言えば私も数年前にそんな内容の本を読んだような記憶があります。それにしても普通はそんな観点からの発想はしないでしょう。読んでみるとなかなか面白い。

それによれば、大きな動物(例えば象とか)も、小さな動物(例えばネズミとか)も、哺乳類は一生のうちに大体5億回の呼吸をしているらしいのです。その図体にあらかた比例して呼吸のテンポがある。象はユックリ80年、ネズミはセカセカ3~4年…。犬や猫は15~18年。5億回呼吸を済ませたら、そろそろ寿命だとか…。

動物の正確な寿命は分かりにくいのですが、人間に当てはめると、人は通常呼吸で平均的に1分間に12回ほどの呼吸をするので、1時間に約720回。1日で約1万7千280回となり、1年間で約630万7千200回。これを5億回で割ると=79.27年となります。何とこれは、日本人の男女の平均年齢とほぼ一致するのです。事故・病気など予期せぬ事はあるにしても、大体のところこの位なのでしょう。

中国の太極拳や気功の呼吸法などで、ゆっくり呼吸をするのはあながち無視出来ない事になります。逆にスポーツなどで激しい息遣いをする人の寿命は短いのか…。体を鍛えていて丈夫な気がするのですが、そう言えば一流スポーツ選手が90歳になったとはあまり聞かないような気もしないではありません。

いずれにしても、本を読んでいたらいろいろ面白い話題に当たるものです。インターネットで欲しい情報を探し出すのは便利ですが、その無機質な作業とは違う温かさは、あらためて読書の大切さを感じさせる結果になります。やはりアナログが大事なのでしょう。

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◆1月24日/中学生の頃を思い出せば…

来月の2月6日に、佐賀市の大和中学校で2年生を集めての激励会が予定され、私が保護者代表で子供達に励ましの言葉を言うように依頼されました。2年生は5クラスで、1クラス37~38人くらいだから、全部で200人はいない…などと思いながら、やはり私の中学校時代はどんなだったか思い出そうとしました。

私が中学生の頃、昭和30年代後半の日本は、その後どんどん進む工業国としての黎明期を過ぎ、具体的な姿を表して来た頃と言えます。

政治で言えば、自民党がその勢力と地盤を確固たるものにしつつあり、池田隼人首相の所得倍増計画もこの頃でしょうか。

スポーツで言えば、野球や相撲をはじめ、多彩な競技がお目見え。プロレスの力道山も人気を博したのもその頃。そして何と言っても昭和39年の東京オリンピックが日本を大きく変えたのは間違いありません。

それに合わせて発展のシンボルとして開通した「新幹線」に国民は大いに誇りを持ったものです。そしてTV放送がカラーになり、映画の時代劇もよく見た記憶があります。歌謡曲も盛んになっていた頃です。

中学生の年齢と言えば、肉体的にも精神的にも大人への準備中と言えます。男女とも身体的変化があり、異性への関心も一気に出てきて意識するようになるでしょう。人生をマラソンに例えると、まさにスタートライン。

小学生までは走るための基礎作りで、それまでは親から与えて貰ったウオーミングアップ期間と言えます。そして個人的な差はあるでしょうが、中学生頃からそろそろ自分の意志で行動する事が始まり、自分を作り出す年齢になる頃です。

そして私の事を思えば、知識も運動も異性への関心も、考え方の基礎的部分が中学卒業時から高校生~20歳くらいまでに殆ど出来てしまった感じでしょう。勿論そんな年齢ではまだまだ人生経験がある訳はないのですが、その頃に人間本来の本能的なその人の内面が自然と出来てしまうのかも知れません。