マスク
オレは、彼女のマスクを外した顔を、まだ知らない。感染予防でマスクをするのが当たり前の世界で知り合い、感染拡大を防ぐために外食も避けてきた。
授業の合間に中庭で二人で過ごす時は飲み物くらいは飲むけれど、オレが顎マスクで缶コーヒーを飲む横で、彼女は器用にマスクの下からストローを入れて飲む。
真似してマスクを上に上げて缶コーヒーを飲もうとしたら、すごく難しかった。口を下から出そうとすると、マスクが視界を塞ぐ。彼女は「それじゃアイマスクだよ」って肩を揺らして笑う。
オレたちの座るベンチの目の前、自販機に立つ影。選択授業で一緒の奴だ。
「おぅ、おはよー」と手を振る。
「もう授業終わってるのにおはようかよ」
「その日初めて会った人にはおはようなんだよオレは」
「なるほどな」
笑いながら後ろ手を振る姿を目で追って、
「あいつ、入学して初めてできた彼女に『マスク取ったら印象違った』って言われて別れちゃったらしい」と言うと、つないでいた彼女の手に僅かに力が入った。
(もしかして、気にしてた?)
「マスクの中、見たいな」
彼女は涼しげな目元を少し細めたあと、オレを見るから、オレは顎にマスクをかけて自分の顔を見せ「キスしよ」って言ってみた。
彼女は、ちょっと不安そうな目でマスクをずらしてくれた。
「汗が……」とかなんとか、ゴニョゴニョ言いながら鼻の下を指の背で押さえている。
オレは、見逃さなかった。マスクを取った瞬間に見えた彼女のぷるっとした厚めの唇は肉感的で、柔らかそうな唇に触れるのを想像したら一気に血液が沸騰した。
「めっちゃかわいい…」
繋いでいる手をギュッとにぎると、プルプルの唇から目を離さずゆっくり近づく。彼女の表情をそっと伺うと、少し緊張していたみたいだけど、オレからこぼれた声に安心したのか目を閉じた。
(良かった、拒否されなさそう……)
息が触れ合う距離で2秒数えて、静かに唇を合わせた。
唇を離し、ゆっくり元の体勢に戻りながら彼女を見つめる。彼女は視線を下に向けたまま、恥ずかしそうにムニュムニュ唇を動かしたあと、一瞬、唇を上下巻き込んで鼻の下を伸ばしたような顔をしたあと、言った。
「マスク取るの恥ずかしいんだ。私歯並び悪いから…」
むにゅっと尖らせたあと、ちょっと曇った顔でこちらを見て恥ずかしそうに笑った唇から2本の歯が覗いた。
(キターーーーーーーーー!!!!)
オレは天を仰ぎ、叫んで走り回りたい気持ちをグッと堪えて彼女を抱き寄せた。
「やばい。オレ、マスクガチャに勝っちゃった。優勝じゃん、オレ。こんな好みドストライクなことある?むにゅっとした唇から覗くリスみたいな歯、性癖すぎてやばい。めっちゃかわいい!めっちゃ興奮してる!めっちゃかわいい!!叫んで走り回りたいっっ!」とその場で足踏みをした。
「ちょっと、ちょっとやめて、や、なになに?揺れる揺れる!!」
マスクを戻しながら爆笑する彼女が可愛すぎる。
オレは馬鹿みたいな顔にならないように、気を抜くと上がってしまう口角をコントロールしながら彼女の顔を覗き込んだ。
目元を朱に染めた彼女の目は、笑っていた。
彼女が戻したマスクを下にずらすとチュッチュっと音を出してキスしてみる。
「ね、もっとしてもいい?」
唇を完全に離さず囁くと、彼女は微かにうなづいたようだった。
オレは弾力を確かめるように自分の唇と彼女の唇を横に擦りあわせ、かわいい下唇をハムハムさせてもらうことに成功した。
(うっわ、なにこれやば。思ってたとおりだけど思ってたのと全然違う、なんていうんだこれ、天国?)
力を抜いた彼女唇をの舌で舐めると、「ん」と発したあと息継ぎで薄く開いた彼女の唇から覗く歯をそっと、丁寧に、舐めた。
「……っ、ぁ……」
(あー、クソッ!今の声……)
蝉の声が、脳の中まで響いていく。
暑くて、熱い日。最高気温は、体温超え。