2002年1月、中心商店街の行く末がマズくなってきた頃
勿論出来なくても全然構わないのです。免許がなけりゃタクシーもバスもある。携帯を持たなきゃ家庭電話も公衆電話もある。それだけのことです。「ガイアシンフォニー」を見ている時はこんな現実的なことは考えなかったのですが…。
ところで、ブロードバンドの反対語は「ナローバンド」だそうな。なるほど、これまでの日本のインターネット事情は道路の幅が狭いなあと感じることしきりです。
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◆1月29日/中心商店街
人口が25万人くらいまでの地方都市の既存商店街は、まさに後退の一途です。 20年ほど前を知っている我々から見れば、人の少ない通りは寂しい限り。時代の趨勢と言えばそれまでですが、やはり手をこまねいてばかりではいけません。
勿論、色々なやり方で対応策は練っておられるとは思いますが、残念ながらあまり効果は上がっていないのが実情でしょう。
もう2~3年前からだとは思いますが、東京/早稲田の商店街から発信された「エコ・ステーション」の現状はどうでしょうか?多少は気になるところ。
全国的にはもう数十ヶ所は実行しているイメージはありますが、佐賀の付近に限って言えばあまり評判は聞こえてきません。早稲田の創始者・大隈重信侯のお膝元で、確か昨年の夏頃に事業をスタートしたはずですが、少なくとも地元のマスコミにもそんなに話題にはなっていませんね。
中心商店街の不振は郊外型大型店舗の影響が一番の理由でしょうが、インターネットの登場で「物の買い方」が少しずつ変化しているのも見逃せません。
まだまだ全体から見れば市民権を得ているとは言えないブロードバンドのインフラが整備されれば、音楽著作権のような騒ぎがどこで起こるか分からない要素があるのは認識しておく必要があるようです。
物が有り余っている日本での消費は、食料や日常消耗品、電気や通信や車(運送)などの必需品はともかく、もうそんなに消費拡大の期待は出来ないでしょう。何か付加価値をつけなければ目を向けてはもらえない。これまでの商品にプラス・アルファが必要です。
考え方の一つとして、中心商店街で何かの付加価値を考えてもらえば、歩いて気軽に買い物できる商店街が良いに決まっています。少なくとも中年から上の年齢にとっては、行くだけで疲れる大型店には行かなくて済むようにして貰えれば助かるのですが…。必ずしも大型店が便利とは思えません。
人の心に入り込む情緒が欠如しているスペースは、いつかは飽きられるとは思います。アメリカの「スーパーマーケット」が良いか、欧州の「市場」が良いか…どう考えても欧州の市場の雰囲気に軍配が上がります。
しかし、現実は現実。本来の姿に戻る前に中心商店街がなくなってしまえばもう終わりです。中途半端な日本のアメリカナイズが、今となっては日本経済を苦しめているようです。
作品名:2002年1月、中心商店街の行く末がマズくなってきた頃 作家名:上野倫五