FOREVER LOVER
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フェイルセーフ(音楽グループ)
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出典検索?: \\\"fail safe\\\" 音楽グループ – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2033年5月)
フェイルセーフ
fail safe
出身地 日本
ジャンル JPOP
ロック
AOR
コミックソング
活動期間 1985年 - 2040年
レーベル EPIC・ソニー(1985年 - 1993年)
Thingamajig Music(1999年 - 2040年)
メンバー 新条ジン(Vo., Sax)
中野剛太郎(Gt., Vo.)
中野柔二郎(Ba., Vo.)
鶴崎一越(Key.)
フェイルセーフ(fail safe)は、日本のポピュラー音楽のバンド。1985年(昭和60年)のデビュー曲「FOREVER LOVER」をヒットさせ、若者から支持を集めた。更に、2000年(平成12年)に「近くが見づらい」をスマッシュヒットさせ、中高年のカラオケブームに貢献したことでも知られる。
目次 [非表示]
1 メンバー
2 略歴
3 作品
3.1 アルバム
3.2 シングル
3.3 映像作品
メンバー
名前 生年月日 担当
新条ジン(しんじょう じん) 1960年4月19日-2040年5月25日(80歳没) ボーカル、サックス
中野剛太郎(なかの ごうたろう) 1960年8月12日-2028年11月30日(68歳没) ギター、ボーカル
中野柔二郎(なかの じゅうじろう) 1958年5月22日-2010年5月1日(51歳没) ベース、ボーカル
鶴崎一越(つるざき いちえつ) 1959年12月31日-2035年10月10日(75歳没) キーボード
略歴
新条と鶴崎のふたり、中野兄弟のふたりは別のバンドで、新宿のライブハウスの常連として出演していた。しかしそれぞれバンドが同時期に解散してしまい、新条と鶴崎がその気概と技量を高く買っていた中野兄弟に声をかけると、中野兄弟も快諾。その後ソニーにスカウトされ、所属事務所も決まった[1]。
グループ名の由来は、工学分野の用語「フェールセーフ」から採られている。フェールセーフとは、「何らかの装置・システムにおいて、誤操作・誤動作による障害が発生した場合、常に安全に制御すること。または、そうなるような設計手法で信頼性設計のひとつ。これは、装置やシステムが『必ず故障する』ということを前提にしたもの」と説明されるが、当時電気通信大学に在籍していた(後に中途退学した)鶴崎により、「あれこれと悩みの多い同世代を、僕たちの歌によって元気付けられるように」として提案された[1]。
「FOREVER LOVER」がヒットした当時は新条の甘いマスクもあってアイドル的な扱いも受けたが、これを新条は強く不満に思っており、「むしろ、安全地帯的な存在になりたかった」と話していた[1]。
がしかし、新しいスターが現れては去るバンドブームのさなかで存在感も徐々に低下。1990(平成2年))~1991年(平成3年)の湾岸戦争を受けて平和をテーマにした楽曲も発表したが、中野剛太郎も「疲れしか無かった。僕たちはあまりにも小さ過ぎた」と行き詰まりを漏らし[2]、1993年(平成5年)12月25日、渋谷公会堂公演を最後に活動を無期限休止した。
その後、新条と中野兄弟は一般企業に就職し、鶴崎も Thingamajig Music のスタジオミュージシャンとして就職して世間に揉まれ続けた。Thingamajig Music 社長の村雨賢はフェイルセーフのファンを自認し、鶴崎に「メンバーそろってまた表舞台に立たないか」とたびたび誘いかけていたが、自信を喪失していた鶴崎は固辞。
しかし、村雨から「初心を思い出してはどうか」と言われ鶴崎は気づきに至り、メンバーに連絡を取る。鶴崎が「僕たちはもう若者ではない。若者のカリスマを気取る必要も全く無い。あれこれと悩みの多い同世代を、僕たちの歌によって元気付けられるように、という初心に帰ろう」と熱っぽく語るのを聞いてメンバーは感激したが、その後鶴崎が「近くが見づらい」という曲を示した時に新条は「3人でタコ殴りにしようかと思った」という[3]。
そして1999年(平成11年)「もうやけくそで」[3] 8th シングル「近くが見づらい」をリリースすると、これが予想外の30万枚ヒット。7th アルバム「おやぢギャグ」の収録曲は中年男性の愚痴のような歌詞が多かったが、共感できる歌詞、キャッチーなメロディーライン、高い演奏技術があいまってこちらも30万枚セールスを記録。中高年のカラオケブームも起こした[4]。
それを契機に、村雨から「もういっそ、同世代に訴える曲を死ぬまで作っていけ」というお墨付きをもらい、実際その後40年に渡ってそのとおりにすることとなった。
そのため、彼らのコア支持者は1960年前後の生まれではあったが、若者から高齢者まで彼らの作品のどれかしらに共感できるという、世界でも稀な、特殊な試みを成功させたバンドとなった[要出典]。
作品
アルバム
EPIC・ソニー
『FOREVER LOVER』(1985年)
『星屑 Love』(1986年)
『若きウェルテルの悩み』(1988年)
『Stormy Love』(1989年)
『Love Island』(1990年)
『FOREVER PEACE』(1991年)
Thingamajig Music
『おやぢギャグ』(2000年)
『住宅ローン音頭』(2002年)
シングル
EPIC・ソニー
『FOREVER LOVER』(1985年)
『紫陽花』(1986年)
『疾風怒濤』(1988年)
『夏色の愛』(1989年)
『青いディンギー』(1990年)
『FOREVER PEACE』(1991年)
『パラダイム』(1992年)
Thingamajig Music(配信限定を含む)
『近くが見づらい』(1999年)
『名前を忘れた』(2000年)
『住宅ローン音頭』(2001年)
『黄昏流星群』(2005年)
『卒業式に寄せて』(2006年)
『若造は調子に乗るな』(2008年)
『フォトグラフ』(2010年)
『腰痛フォルテッシモ』(2012年)
『anti-aging』(2015年)
『Grandson(mago)』(2018年)
『若い娘にモテたいぞよ』(2023年)
フェイルセーフ(音楽グループ)
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フェイルセーフ
fail safe
出身地 日本
ジャンル JPOP
ロック
AOR
コミックソング
活動期間 1985年 - 2040年
レーベル EPIC・ソニー(1985年 - 1993年)
Thingamajig Music(1999年 - 2040年)
メンバー 新条ジン(Vo., Sax)
中野剛太郎(Gt., Vo.)
中野柔二郎(Ba., Vo.)
鶴崎一越(Key.)
フェイルセーフ(fail safe)は、日本のポピュラー音楽のバンド。1985年(昭和60年)のデビュー曲「FOREVER LOVER」をヒットさせ、若者から支持を集めた。更に、2000年(平成12年)に「近くが見づらい」をスマッシュヒットさせ、中高年のカラオケブームに貢献したことでも知られる。
目次 [非表示]
1 メンバー
2 略歴
3 作品
3.1 アルバム
3.2 シングル
3.3 映像作品
メンバー
名前 生年月日 担当
新条ジン(しんじょう じん) 1960年4月19日-2040年5月25日(80歳没) ボーカル、サックス
中野剛太郎(なかの ごうたろう) 1960年8月12日-2028年11月30日(68歳没) ギター、ボーカル
中野柔二郎(なかの じゅうじろう) 1958年5月22日-2010年5月1日(51歳没) ベース、ボーカル
鶴崎一越(つるざき いちえつ) 1959年12月31日-2035年10月10日(75歳没) キーボード
略歴
新条と鶴崎のふたり、中野兄弟のふたりは別のバンドで、新宿のライブハウスの常連として出演していた。しかしそれぞれバンドが同時期に解散してしまい、新条と鶴崎がその気概と技量を高く買っていた中野兄弟に声をかけると、中野兄弟も快諾。その後ソニーにスカウトされ、所属事務所も決まった[1]。
グループ名の由来は、工学分野の用語「フェールセーフ」から採られている。フェールセーフとは、「何らかの装置・システムにおいて、誤操作・誤動作による障害が発生した場合、常に安全に制御すること。または、そうなるような設計手法で信頼性設計のひとつ。これは、装置やシステムが『必ず故障する』ということを前提にしたもの」と説明されるが、当時電気通信大学に在籍していた(後に中途退学した)鶴崎により、「あれこれと悩みの多い同世代を、僕たちの歌によって元気付けられるように」として提案された[1]。
「FOREVER LOVER」がヒットした当時は新条の甘いマスクもあってアイドル的な扱いも受けたが、これを新条は強く不満に思っており、「むしろ、安全地帯的な存在になりたかった」と話していた[1]。
がしかし、新しいスターが現れては去るバンドブームのさなかで存在感も徐々に低下。1990(平成2年))~1991年(平成3年)の湾岸戦争を受けて平和をテーマにした楽曲も発表したが、中野剛太郎も「疲れしか無かった。僕たちはあまりにも小さ過ぎた」と行き詰まりを漏らし[2]、1993年(平成5年)12月25日、渋谷公会堂公演を最後に活動を無期限休止した。
その後、新条と中野兄弟は一般企業に就職し、鶴崎も Thingamajig Music のスタジオミュージシャンとして就職して世間に揉まれ続けた。Thingamajig Music 社長の村雨賢はフェイルセーフのファンを自認し、鶴崎に「メンバーそろってまた表舞台に立たないか」とたびたび誘いかけていたが、自信を喪失していた鶴崎は固辞。
しかし、村雨から「初心を思い出してはどうか」と言われ鶴崎は気づきに至り、メンバーに連絡を取る。鶴崎が「僕たちはもう若者ではない。若者のカリスマを気取る必要も全く無い。あれこれと悩みの多い同世代を、僕たちの歌によって元気付けられるように、という初心に帰ろう」と熱っぽく語るのを聞いてメンバーは感激したが、その後鶴崎が「近くが見づらい」という曲を示した時に新条は「3人でタコ殴りにしようかと思った」という[3]。
そして1999年(平成11年)「もうやけくそで」[3] 8th シングル「近くが見づらい」をリリースすると、これが予想外の30万枚ヒット。7th アルバム「おやぢギャグ」の収録曲は中年男性の愚痴のような歌詞が多かったが、共感できる歌詞、キャッチーなメロディーライン、高い演奏技術があいまってこちらも30万枚セールスを記録。中高年のカラオケブームも起こした[4]。
それを契機に、村雨から「もういっそ、同世代に訴える曲を死ぬまで作っていけ」というお墨付きをもらい、実際その後40年に渡ってそのとおりにすることとなった。
そのため、彼らのコア支持者は1960年前後の生まれではあったが、若者から高齢者まで彼らの作品のどれかしらに共感できるという、世界でも稀な、特殊な試みを成功させたバンドとなった[要出典]。
作品
アルバム
EPIC・ソニー
『FOREVER LOVER』(1985年)
『星屑 Love』(1986年)
『若きウェルテルの悩み』(1988年)
『Stormy Love』(1989年)
『Love Island』(1990年)
『FOREVER PEACE』(1991年)
Thingamajig Music
『おやぢギャグ』(2000年)
『住宅ローン音頭』(2002年)
シングル
EPIC・ソニー
『FOREVER LOVER』(1985年)
『紫陽花』(1986年)
『疾風怒濤』(1988年)
『夏色の愛』(1989年)
『青いディンギー』(1990年)
『FOREVER PEACE』(1991年)
『パラダイム』(1992年)
Thingamajig Music(配信限定を含む)
『近くが見づらい』(1999年)
『名前を忘れた』(2000年)
『住宅ローン音頭』(2001年)
『黄昏流星群』(2005年)
『卒業式に寄せて』(2006年)
『若造は調子に乗るな』(2008年)
『フォトグラフ』(2010年)
『腰痛フォルテッシモ』(2012年)
『anti-aging』(2015年)
『Grandson(mago)』(2018年)
『若い娘にモテたいぞよ』(2023年)
作品名:FOREVER LOVER 作家名:Dewdrop