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田中よしみ
田中よしみ
novelistID. 69379
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ウラバンナ(白秋紀)

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 この三十七年間の周り道は。やはり曼殊沙華の葉見ず花見ずの運命としか言いようがなかった。東京に夢があると思って上京したが、故郷には緩やかな時間と人情が残っていた。男は仕事が一番と勇んでいたが、家庭の安寧があればこその人生であることを大きな犠牲の上に学んでいた。
そう思うのは、池澤捷一の計らいによって人生の白秋紀に柊との気持ちがやっと重なり、これから玄冬紀を迎えることができた。
秋津家に向かう途中で、想い出の盆踊りの会場跡に寄った。一帯は国道のバイパスが通って盆踊り会場の周辺は商業店舗が並んでいた。コンビニエンスストアの駐車場では若者が群れていた。彼らは青年団や婦人会のことも、ヤマ(炭鉱)や盆踊りの炭坑節のことも知る由もなかった。

 
三十八回目のウラバンナ
 私が秋津柊に中学の部活で心をときめかせてから、丁度四十年の時間が流れていた。私は戦争を生き抜いてきた親たちに育てられながら戦後と共に生きてきた。そして、戦後世代の次の世代を育てる大人になり、その子らも今大人になって子供を育てていた。
先の戦争で三百万人を超える日本人の屍の上に平和国家が建設されたが、戦後とともに半世紀を生きてきた私は一体何をしてきたのだろうか? 英霊たちは私の不甲斐ない生き方を苦々しく思っているに違いない。
戦後は戦死や飢えもなくなり長寿の世の中になったが、その結果、人生観や死生観が親たちとは違ってきた。誰もが高校や大学に進学できるようになり、戦後の親たちは我が子を大学に進学させることに躍起になった。

 その一方で、故郷の伝統や因習は廃れていった。住民の連帯や互助の部落から個の生活に変質してきた。戦後目指してきた経済至上主義は戦前の日本の伝統文化や日本人の心を切り裂いていった。
戦後の日本人の心には故郷があり、その故郷を守って盆踊りや村祭りなどの伝統文化を継承してきた。盆は老若男女が寄り集まって来て炭坑節を歌い踊りながら祖霊をもてなしてきた。
盆踊りは経済大国の象徴である効率性や経済性とは真逆の文化である。部落を出ていった若者も帰省してその輪の中で、三歩前進して二歩後退するもどかしい踊りに興じてきた。
故郷には悪しき因習もあったが、貧困の中にも隣人を気遣う思いやりがあり、昔は部落(地域)の絆が受け継がれていた。
戦後のお仕着せの民主主義と経済成長によって日本らしさが廃れていき、日本人の心を冷たく切り刻んでいった。明治以来、日本の近代化や復興に貢献してきたヤマ(炭鉱)の炭鉱夫らは置き去りにされて、日本人の記憶からも消えていた。
為政者はいつの間にか、広島や長崎の原爆の惨禍を棚に上げて日本中に原子力発電所を建設して国土を放射能の危機に晒している。
故郷の山河に工場や商業施設を建設したが、バブルが去ると施設の残滓が晒されたままになっている。
街中には定職をもたない大学卒の若者が溢れており、平和漬けの親がその子供を擁護して自立の足枷になっている。
そういう社会を目前に、国家は世襲議員に占領されて問題の先送りが続いている。

 高校の修学旅行で東京タワーから初めて見た首都の風景、映画や歌謡曲の中で演出された華麗な街に憧れていた。
青春紀に漠然と抱いた希望や夢の正体を大都会に求めたが、退職が近づいてみると、この東京には居場所がないことに気付かされた。
日本は経済大国になったけれど、それは政治の力というよりも復興のエネルギーが押し上げてくれたのであろう。今再び日本の経済は縮小に向かいつつある。
衣食住が満たされて僅かばかりの個人財産に小賢しく執着している。長生きを追い求める今の日本人に父の言葉を重ねていた。
父が家長の我が家は貧しかったが、父はお金にも生命にも執着しないで自分の短い人生を気ままに全うした。これこそ男児の本懐かもしれない。父の言い遺したように“自分を裏切らない生き方”こそ、普遍の倫理観かもしれない。

 私は今、五十路を歩いている。これまで父を超えたと自負していたが、家長としての父の夕餉の膳こそが父の象徴である。今の夕餉は家族が揃って食べることもなく、父も子も食事は平等である。
池澤捷一の計らいで二十七年振りに秋津柊に再会して冬の存在を知った。
随分遠回りをしたことに気付いた。家の布団で死んでいった父の生き様が大きく見えてきた。
現在は商店街の映画館も花火を売っていた雑貨屋もなくなっていた。故郷の駅前は寂れて、盆踊りも夏祭りも廃れていた。
現在の為政者は地方創生という名のもとに税金をばら撒いているが……、元産炭地、特にヤマの一帯は日本中から忘れられて高齢化と過疎化だけが進行している。
三十七年前の盆は青年団や婦人会の人たちが和太鼓と炭鉱節の音頭に合わせて賑やかに踊っていた。境内は提灯灯り中を夜店の呼び込み声が行き交っていた。
その人々の笑顔や踊りの足音が迫ってきたが、その笑顔には戦後の貧困を凌ぐ生き甲斐と喜びがあった……。

(完)